台風17号の影響で、北海道もこれから明日にかけて嵐になるそうだ。登別の今は雨が少し降っている程度だが、嵐の前の静けさと言ったところかもしれない。僕は今日、家に閉じ籠って文筆活動に専念しているところだが、嵐と言えば介護保険誕生時の混乱も、「吹き荒れる嵐」のごときものではなかっただろうか。その時のことを改めて思い出してみたい。

介護保険制度の萌芽は、1993年厚生省内に「高齢者介護問題に関する省内検討プロジェクトチーム」が設置されたことによるものだ。それが1996年6月25日に「与党介護保険制度の創設に関するワーキングチーム」が設置され、臨時国会への「介護保険関連3法」の法案提出につながっている。しかしその法案はすんなり議決されたわけではなく、2回の継続審議を経て1997年末に可決成立へと繋がっていったわけである。

その過程の中では1996年1月5日、公的介護保険制度創設を支持してきた社会党の村山富市首相が突然退陣表明するなんてこともあった。それを受け、同日、自・社・さ政権協議にて、自民党総裁・橋本龍太郎を首班とする連立で合意することとなったが、このとき自民党内には公的介護保険制度創設反対論が根強く、その動向が注目されたりした。

だが橋本龍太郎自民党総裁は、1/8年頭の記者会見で「高齢化社会対策としての介護保険制度創設の必要性」を訴え、通常国会への公的介護保険制度関連法案提出への意欲を示したうえで1/11に組閣。そのとき注目の厚生大臣には、介護保険制度導入に前向きな新党さきがけの菅直人を指名している。(※菅は同年9月、さきがけの鳩山由紀夫が民主党を設立すると、鳩山と共同代表として同党に参加し、後に政権離脱した。なお社会党はこの月、党名を「社民党」に変更した。)

1/24、厚生省は通常国会に法案提出を予定している「公的介護保険」について保険の運営主体として市町村案を検討していることを表明。なお最初の法案では制度の実施時期は1997年〜とされていた。

この後、保険料負担の年齢や実施主体(市町村か都道府県か)や、居宅サービスと施設サービスの段階的実施か同時実施かなどを巡って大議論と大混乱が見られた。例えば6/10には、連立与党プロジェクトチームの強い要請で厚生省私案が方向転換し
1.保険料負担・受給は共に40歳から
2. 制度は在宅、施設の同時実施。

という修正方針を示した。これに対し「負担は20歳、受給は65歳から、在宅、施設の段階実施」という案でまとまっていた老人保健福祉審議会は「一夜で内容が変わるなんて無節操」と猛反発したりしている。

そんな経緯もあったが反対論が強かった自民党も小選挙区制の導入を控え、市町村長の影響力が強まることを無視できず、さらに選挙後の連立体制を考えれば、制度導入に積極的だった社民・さきがけ・民主党との深刻な対立は避けたく、介護問題への積極姿勢を示さざるを得なかったことから、11/21自民党総務会で法案了承につながった。

そして11/29国会に法案提出となるが、野党・新進党の西岡幹事長は、厚生省汚職(彩福祉会事件)に触れ「厚生関係議員のトップ」としての首相の責任を追及するとともに、厚生省に対しても介護保険制度の旗振り役の事件を引き合いに出し「法案提出自体が不見識」・「汚職事件の中心人物が法案作成にかかわったのであり、撤回すべし」と審議入りそのものを拒否し、通常国会に新たな法案を提出するように求めたこともあり、審議は時間切れで19日臨時国会は閉会し、同法案は継続審議となった。

翌1997年1月20日、通常国会開会後に介護保険3法案の審議も再開され、5/22衆議院本会議可決されたが、参議院厚生委員会では医療保険制度改革関連法案の修正問題で審議が遅れ、介護保険法の審議に時間が取れなくなり会期切れ。介護保険法案は臨時国会まで再度継続審議となった。

その後12/2に参議院厚生委員会で政府責任を明確にする修正を加えたうえで自民・社民・民主・太陽党の賛成多数で法案可決。反対は、全額税制方式を主張した平成会(新進党と公明党の参議院院内合同会派)と、従前からの老人福祉制度と保険方式の組み合わせを訴えた共産党であった。

そして介護保険関連法案は12/23衆参両議院で採決・成立したものである。この時、新進党は欠席し採決に加わっていない。(※新進党の党首は小沢一郎)

ざっと書いたが、こんな風に戦後初の大改正が構想からわずか4年で法案成立したわけである。

どちらかと言えば農村部を選挙基盤にしている代議士が多かった自民党が、国民の新たな負担が伴う介護保険制度には消極的で、介護負担に対しては現金給付によって支持を広げようとした中での大改正は、なぜ日の目を見たのか。

その理由は旧・社会党の政権参加と村山富市の首班指名という政治状況大きく影響している。

自民党の一党支配時代には旧態勢力として厚生省に深く根をおろしてきた「厚生族議員」の力が、政界再編と連立政権下で衰えて行った過程で、政権与党〜野党に横断的に戦略的なメリットがあった新制度創設議論と相まった。これによって厚生官僚の模索する新たな介護システムとしての制度が日の目を見る間隙が生まれたといえよう。

つまり自民単独政権下で族議員が跳梁跋扈していた状況であれば、この制度は議論段階でつぶされていたと言えるのではないだろうか。

介護保険制度以後にこの業界に入ってきた人たちは、こうした経緯を知らない人が多いし、知らなくとも仕事に支障はないだろう。しかし介護保険制度が今後どうなっていくかを考えていく上では、その歴史を知ることは意味があることのように思う。

特に安定政権下では、その政権のに利権が固定化されているので、新しい制度は生まれにくいし、政治混乱の中で、官僚の力がより大きくなる時に制度は動くということだ。してみると現在の介護保険制度は、しばらくはこの形のまま続いていくと考えて良いように思える。

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