センスという言葉がある。介護のセンスという言い方をしたりする。それは目に見えはしないが、時々そんなセンスを感じる人に出会うことがある。

センスのある介護者は、経験のない若い時にも、いろいろなことに気づくことができる。そんな人に出会うと、僕自身もうれしい気分になれる。

そういう人たちは介護業界にはびこる、「介護の常識は世間の非常識」という状態にも気が付く。それを変えようとして頑張って結果を出している人もいる。しかしその異常さに気がついても、そのことを変えられない現状を認識したときに、介護という仕事に絶望し、バーンアウトしてしまう人も多い。それが何より哀しい。

バーンアウトしないために、自分のセンスに蓋をしてしまう人もいる。

哀しい」・「苦しい」・「助けて」という利用者の声なき声が聴こえていた人が、いつの間にかその声を聴かないようにして、心の耳を塞いでしまったとき、声なき声どころか、実際にそこで発している悲痛な声さえも聴かなくなってしまう。その時、あんなに希望に燃えて就いた介護の仕事に、夢破れ疲れ、惰性でしか仕事ができず、おもしろくない仕事をこなしながら毎日を送るだけの人になる。それでよいのだろうか・・・。

世間一般の非常識が、介護では常識とされる一例として、日常的に「行列」を簡単に作ってしまうということがある。介護施設であれば、1日のうちに必ず1回以上は行列に並ばなければ、日常生活が送れないというとんでもない施設もある。

例えば昨日の記事で指摘したように、入浴支援を受けるために脱衣所にたどり着く前に1時近く廊下に作られた行列に並ばなければならないこともその一つだ。

トイレ介助と称して、トイレにたどり着く前に廊下人並ばされて何十分も放置されるという、「行列」も存在する。そんな行列に並ばされている人の中には、並んでいる最中に失禁してしまい、トイレは自排せつする場所ではなく、失禁の後始末の場所に成り代わってしまっているケースもある。

廊下に毎日のように並ばされている人であっても、そのことに決して慣れることはない。行列に並んでいる間は、いつも不満で、いつも不安だ。

そうした行列は人間と人間の間の隙間をなるべくなくすがごとく、前の人のすぐ後ろに並ばされるから、並んでいる人の顔のすぐ近くに、前に並んでいる人の車いすの背もたれがあるという状態になる。その圧迫感はほとんどの人にとってかなりのストレスだ。だから普段車いすを自走できない人も、そんな行列から脱しようとして、車いすのタイヤを手でつかんで動かそうとする。そうするとその姿を見かけた介護職員が、「危ないから動いちゃダメ!!」とスピーチロックという暴挙に出る。それは行動制限そのものだ。

行列をつくること自体が問題だが、その行列も少しでも動いたら人とぶつかるくらいの近さに、人と人との距離を取らずに人を並べ、そのまま放置しているあなたたちの行為そのものが危険なんだと言いたくなる。

行列に並んでいる人は、並んでいる理由もわからず、いつまで並ばされるかもわからないから、不安が助長される。だから、「誰か助けてください」・「私何をしたら良いのですか」と叫ぶことになる。

そもそも介護サービスの場でつくられる強制的な行列に並ばされている人が、全員おとなしく並んででいられるわけがない。行列を作る全国の介護事業者で、利用者は悲痛な声を挙げ続けている。そのことにストレスを感じている介護職員も多いはずだ。しかしその原因である行列をなくす方法がわからなかったり、行列を失くして利用者の助けてという声が出ないようにしようとする思いが伝わらない現場で、そうした職員は自らの心の耳を塞いでしまう。

声なき声が聴こえていた人が、心を閉じて、声になっている悲痛な叫びさえ聴かない人になる。その時、介護事業者は冷たい箱にしか過ぎなくなる。苦悩を包み隠すブラックボックスにしか過ぎなくなる。そうしてはならないのだ。

介護の常識が世間の非常識と気が付いたら、それを変えなければならない。変えようとしたときに必ず抵抗勢力にぶつかり、何度も跳ね返されるだろう。しかしあきらめてはならないのである。大事なことは、ダメなものはダメという勇気であり、良い方向に変えようとする情熱である。

しかし一度や二度の失敗で消える思いを情熱とは言わない。それは単なる気まぐれである。

利用者の声なき声を聴き続けるためには何が必要なのだろう。大切なのは与えられた才能ではなく、あり余る好奇心だ。それこそが専門家を突き動かす。そこに知性というエッセンスを加えることが大事だ。

知性とは、生業(なりわい)や人にひけらかすために身に着けるものではない。困難に直面したときに、どう立ち向かうべきかを教えてくれるのが知性だ。知識への欲求を捨て、日々同じことを繰り返す人生に意味はない。

勤勉、真摯、謙虚そして器の大きさ、それらのどれ一つが欠けても人の暮らしに寄り添う資格は無い。売名、不遜、おごり。どれか一つでも潜んでいれば、知識や技術も人を裏切る。

僕たちに求められていることは、見えない涙、声なき声を見失わないように、介護の現場で小さな勇気をもって、「利用者本位」の本質を考え続けることだと思う。青臭いと言われようが何だろうが、その一念に優る情熱はない。
見えない涙

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