たった2月ほどの付き合いだった。

その人と知り合ったのは、1通のメールがきっかけだった。

最初のメールは2月のはじめ、今年1月に出した僕の著書、「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」を読んだという読者からの感想が書かれたメールだった。

そのメールに対して、「感想のお礼」という形で返信をしてからメールのやり取りが始まった。

彼が僕の著作本を購入したのは、彼自身が相談援助職として働いていたことと、それに加えて彼自身が、「末期のがん」患者として闘病中であったからである。メールをやり取りする中で、そのことを知った。

彼の住んでいる場所は、僕の住む登別市から車で2時間ほどの道内のある地域だ。そして彼の年齢は僕と全く同じである。同じような職業についていた、まだ会ったことのない同級生ということになるだろうか・・・。

遺された時間が少なくなる中で、彼は僕に心中を吐露し始めた。それに対して真摯に思いを返した。そんなメールのやり取りが続いた。

彼はできれば最期まで自宅で家族と一緒に過ごしたいと望んだ。その望みは叶えることができた。世間が10連休で浮かれているさなかに、在宅療養支援診療所の医師や、訪問看護ステーションの看護師が毎日、彼の自宅に訪れて彼の最期の日々を支えてくれることは心強いことであったろう。医療や介護の制度には様々な瑕疵が存在しているが、こんなふうに末期の状態の人が、在宅で過ごせるように制度が支えていることも事実だ。そういう制度を支える人がいることも事実だ。そのことには心から感謝すべきだと思う。

彼の望みがかなわない部分もあった。何より彼はまだ生きたかった。1日でも1分でも長く生きて、奥さんや子供さんと過ごしたかったはずだ。

前回の東京オリンピックは、「3歳だったから、全く覚えていない」といった彼が、「masaさん、来年の東京オリンピックを一目見て、その記憶を残せて死ねたら幸せ」と書いてきたことがある。もしかしたら彼の一番の目標とは、頑張って来年の東京オリンピックまで生きていることだったのかもしれない。しかしその願いがかなわないだろうことは、かなり早い段階で分かっていたのだろうと思う。

「今年の桜は見られるかな」と書いていた彼のメールの文面も思い出す。残念だが今年の桜が咲いた姿を彼は目にすることができなかった。少し遠出ができたら、花を咲かせた桜並木を観ることはできたのかもしれないが、もうその体力は残っていなかった。

せめて平成から令和になる瞬間を記憶に残せないかと思ったが、その瞬間は突然に訪れた。

「いろいろやりたいことはあったけど、もう思い残すことはないよ」と彼は家族に話をしていたそうだ。最期の時間を家族に囲まれて過ごせた期間が、彼にとっての最期の幸福な時間になっただろう。

僕が彼と初めて会ったのは3月・・・そして昨日はいよいよという連絡があり、彼の自宅に車を走らせた。僕が到着したときには彼の意識はすでになかった。旅立つ瞬間の彼はとても静かで穏やかだった・・・。この2月の間に僕と彼との関係は、著者と読者から、知人〜友人に変わっていったと思う。

彼が残してくれたお礼の手紙が今僕の手元にある。「masaさん。僕が亡くなった翌日は、僕の思い出をブログ記事にしてください。」とそんなことが書いてある。・・・感情が高ぶってそんな記事は書けないと言いたかった・・・だけど彼の最期の願いである。

Tさん、約束を守って今君のことを書いているよ。安らかに眠ってください。

涙が止まらない。

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