ACPの愛称が人生会議とされたことに関しては「人生会議の可能性」という記事で紹介したとおりである。

ここにも書いているが、「人生会議」とは、一般的に抱く会議のイメージとはやや概念は異なっており、それは終末期に備えた意思決定を行うプロセス全体を指すものである。

そのプロセスには、医療関係者や介護関係者と、当事者や家族がテーブルをはさんで話し合う、「会議」そのものの実施も含まれるが、人生会議とはそれだけではなく、会議を経て当事者が意思決定をする過程で、揺れ動く気持ちに寄り添う関係者の日常的な支援過程も含まれるものである。

そのような人生会議は当事者にとって終活の一環としても、リビングウイルとしても大変重要で有意義なプロセスである。

例えば、リビングウイルとして一番重要な点は、「本人の意思決定とその確認」であることは間違いない。しかし終末期になった後に、その人の意思を確認することは難しくなる。よって意思決定ができ、その意志を表明することができる時期に人生会議を開催して、終末期になった際に自分はどうしたいのか、どのような支援を受けたいのかということを確認しておくことが重要になってくる。

そこでは病状を含めた当事者の現況について、医療面から、介護面から、それぞれの関係者が適切に評価し、その情報を伝えて、その情報やアドバイスに基づいて当事者の自己決定を促すということになる。

そうであるからこそ、人生会議に関わる医療や介護等の専門家は、人生会議というプロセスにおいて、専門家の価値観を押し付ける行為があってはならないという戒めが必要だ。医師の指示によって大事な決定を促すことが人生会議ではないことを忘れてはならないのである。

人生会議を通じて、一人一人の国民が自らの終末期の過ごし方を考え、自己決定に基づいてリビングウイルを宣言しておくことはとても大事なことである。それは尊い命を自ら敬い大切にすることに他ならないからだ。それはこの世に生を受け、人として生きてきた意味を問うことにつながるかもしれない。

しかし人生会議という場で、当事者である高齢者の方が、自分の意思を正しく表明できるとは限らないという問題がある。認知機能の低下がなくても、そういう場所に慣れていないことによって、日ごろ抱いている自分の気持ちを、うまく伝えられないという場合がある。そういう時に誰かに気持ちを伝える手伝いをしてもらいたいと考える人もいるはずだ。

そうすると人生会議に関わるチームのうち、誰がリビングウイルの宣言のための支援を行うことができるだろうかと考えたときに、介護支援専門員をはじめとした介護支援者は、利用者がお元気で、意思表示ができる状態の時期から関わり初めて、日常的に意思疎通を行いながら支援担当者として関わっている場合が多いことに注目してよいのではないかと考えている。

病状が悪化する前、意思確認ができる状態の時期から関わりを持っている介護支援専門員だからこそ可能となることがある。それは利用者の意思を代弁することである。

それはリビングウイルの宣言支援にもつながっていくのではないだろうか。そのことの役割をもっと意識した日ごろからの関わり方が、介護支援専門員には求められるのではないだろうか。

その役割は日ごろ身体介護に携わり、一番近くで当事者の気持ちを知る立場にいたヘルパーが担うことになっても良いはずだ。人によっては家族の心の負担を慮って、家族には伝えられない気持ちをヘルパーに吐露する人もいる。その中に含まれる本音を代弁する誰かがいないと、人生会議という過程も形式的で、単なるアリバイ作りの場に変わってしまう恐れがある。そうしないためにも、本人以外に、本人の気持ちを代弁する支援者が必要だ。

よって「人生会議」として関係者が集い話し合う場には、本人や家族、医療関係者とともに、本人のニーズを代弁する介護支援専門員などのソーシャルワーカーが参加することも必要不可欠であると考える。終活の一環として、リビングウイルを実現させる機会としても重要な会議であるからこそ、そこに日常支援に関わっている介護支援専門員等が参加する必要性も高い。

しかし人生会議に対しては、診療報酬も介護報酬も支払われない。この会議を行うことによって、関係者が何らかの報酬が得られるわけではないのである。会議の主催者及び参加者に、報酬以外の間接的利益が発生することも期待できない。それはあくまで治療や介護の過程の中で、必要不可欠なプロセスであるという関係者の理解がないと、人生会議は国民に浸透しないのである。

さらに、主治医師として高齢者に関わっている医師の中にも、人生会議という言葉も知らず、ACPという考え方にも興味が薄い人がいるかもしれない。

そうした諸々の状況が原因で、人生会議を開いてもらって、そこに当事者として自分や家族が参加したいと思っている高齢者が、そうした機会を持つ方法さえわからないというケースが続出するかもしれない。

いざ人生会議を開催しようとしても、日ごろ対象高齢者の日常支援に携わっている関係職員が、ほかの仕事を優先して、報酬の発生しない会議への参加を二の次にして、参加してくれないかもしれない。

そう考えると今後の課題は、この人生会議の重要性を関係者がいかに理解し、多職種が上手に日程調整して、こうした機会を日常的に作ることができるかということになる。

求められる地域包括ケアシステムとは、一人一人の住民が日常生活圏域の中で心身の状況に合致した居所を確保したうえで、医療や介護だけではなく福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが適切に提供でき体制なのだから、その一環として、「人生会議」が求められると考えるならば、地域包括支援センターは、その啓蒙活動に力を入れる必要があるだろう。

そして地域包括支援センターが、「人生会議」の開催を積極的に支援する必要もあるのではないだろうか。

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