がん治療の現場で、患者や家族が医療チームと相談を繰り返しながら治療や療養の方針を決めていく「Advance Care Planningアドバンスケアプランニング(ACP)」が注目されるようになり、そのことをきっかけとしてACPは、がん治療の現場のみならず、広く医療・介護現場に普及・浸透しつつある。
それは、高齢者が自らの意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ終末期を含めた今後の医療や介護について、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に話し合って考えておき、本人に代わって意思決定をする人も決めておくプロセスを意味している。
このACPについて厚労省が愛称を公募し、昨年11月にその愛称を「人生会議」と決定したことについては、「人生会議は愛を語る場」で紹介しているところだ。
一般市民にもわかりやすい言葉にして、その考え方をさらに普及させるために、ACPを「人生会議」という言葉で表現しなおしたことはとてもよいことだと思う。
「人生会議」は不治の病に侵された人にとって必要な話し合いの場と限定して考える必要はない。
高齢者の場合、日常生活に支障はなくとも、何らかの持病を抱えて暮らしている方が多いのだから、主治医師がいる人が多い。そういう人たちが「終活」を意識し始めたときに、同時に「人生会議」という機会をもって、自分自身の終末期の過ごし方を考え始めても良いわけである。
例えばリビングウイルという考え方がある。それは「生前意思」又は「いのちの遺言状」とも表現される行為であり、「自分の命が不治かつ人生の終末期であれば、延命措置を施さないでほしい」と宣言し記しておくことである。
このように延命治療を控えてもらい、苦痛を取り除く緩和治療・緩和ケアに重点を置いた支援に最善を尽くしてもらうための宣言を行うためには、終末期とはどのような状態で、どういう経過が予測されるのかを、できるだけ正確に理解する必要がある。
口からものを食べられなくなって経管栄養を行った場合、自分の身にどのような状況が降りかかってくるのかを、専門的な知識のある人から正確に情報提供を受けて、自ら意志決定するためにも、「人生会議」は貴重な場になるだろう。
そういう意味で「人生会議」とは、終末期の過ごし方について、「自己決定」を促す貴重な場でもある。しかし自己決定とは、単に利用者の意向だけで物事を決定するということではない。それは決定の主人公は自分自身であるということを前提として、専門知識のある医師等が選択できる方法や、選択した結果、その予後がどうなるかなどの予測をかみ砕いて説明した上で、最終的に決定するのが自分であるという意味だ。
その過程で利用者の希望と必要性の相違から生ずる問題についても専門的見地からわかりやすく説明して、理解を求めていくことが必要となる。特に希望と必要性が合致しない大きな要因は、利用者や家族が持つ情報や知識は、医師などの専門家が持つそれとは量も質も大きく異なり、利用者は偏った少ない情報の中から意思決定している例が少なくないという理由によるものなのだから、正確な情報提供が希望と必要性を一致されると言っても過言ではない。
「人生会議」によって、終末期をどう過ごしたいのかという希望が必要性と結びつくとしたら、それは人生を豊かに過ごし、QOD(※人が生命を持つ個人として尊重され、豊かな暮らしを送ることが出来、やがて安らかに死の瞬間を迎えることが出来るかという意味)を高めることにもつながるのではないだろうか。
このように「人生会議」とは、愛する誰かの人生の最終ステージを見つめ、死を見据えながら愛を語る場である。そこで話し合って決めたられたことは、信頼する人があなたの代わりに治療やケアについて難しい決断をする場合に重要な助けとなるであろう。
そうした「人生会議」がごく当たり前に行われる社会となることが求められているのだと思う。
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