6/15に閣議決定された骨太の方針2018には、「診療報酬や介護報酬においては、適正化・効率化を推進しつつ、安定的に 質の高いサービスが提供されるよう、ADLの改善等アウトカムに基づく支払いの導入等を引き続き進めていく。」と明記されている。

この方針に伴って2021年度の介護報酬改定では、介護の効果を見てアウトカムを評価する加算が各サービスに新設されることになりそうだ。

そのために厚労省は、日本全国の介護事業者が実施したサービスの種類や頻度、どのような効果が得られたかなどデータ収集し分析することとしている。調査項目は食事や排せつの状況、就寝や起床の介助など200項目以上にわたる予定である。

そしてそれらのデータに基づいて効果を分析し、裏付けが取れたサービスの報酬を手厚くするとしている。効果が高いと認められた介護サービスについては、厚労省がガイドライン(指針)にまとめる予定ともされている。このような形で手法や手順などを具体的に紹介し、全国の介護サービス事業者にもその方法論の採用を促すことによって、介護サービス利用者の自立支援を促そうというわけである。

そこでは「介護保険制度からの卒業」というお題目が盛んに唱えられ、介護サービスを使わなくなることこそが人としての価値のように喧伝されるのだろう。しかしそのお題目によって介護認定で「非該当」とされた利用者の1割が、その後全額自己負担で従前と同じサービスを使っているという調査結果もあり、必ずしもそのことが利用者の暮らしの質につながっていないとみる向きもある。

そもそも自立を目的に生きている人はそういないだろう。

しかし介護保険制度の目的の一つが「自立支援」であることから、対人援助とは誰かを自立させるためにあると勘違いする輩がいなくならない。

できる行為を失わないように支援することは大事だが、それは自立が最大の目標だからではなく、人の幸せにつながるあり方の形の一つとして自立的な暮らしがあるに過ぎない。自立が目的ではなく、自立の先にある「暮らしの質」が本当の目的なのである。

そうであれば自立できない人に、それを強要するのではなく、誰かが力を貸すことで手に入れることができる「暮らしの質」を求めたって良いのだと思う。人間は独りぼっちでは生きていけないが、その意味は、人に頼ることができることで社会生活は成り立つという意味だ。

身体機能に障害がある人であっても、自分の意志がしっかりしていれば、他人からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動することができるのだ。その時には人に頼る、委ねるという選択権を持てばよいだけの話で、人に頼ることができるという素晴らしさを忘れてはならないのである。そのことを「自律」と呼ぶのであって、本来介護保険の目的も自立支援ではなく、自律支援であるべきだ。

自立より自律、自立より暮らしという視点がどこかにないと、この国の福祉制度は、人にやさしくない厳しいだけの制度になってしまう。それは社会の保障にもならないし、国民の福祉の向上にもつながらないものだ。

老いてなお頑張り続けなければならないという価値観を押し付けて、老いた人々の尻を叩き続けるのが当たり前という制度になってしまって良いとでもいうのだろうか。

そこでは給付制限が当たり前という権力の横暴が正当化されかねないであろう。いったいこの国は、どこに向かって走り続けるのだろうか・・・。

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