今日僕は、明日の講演に備えて夕方札幌に移動する予定だ。

講演は明日からであるが、午前10時開始のセミナーなので、僕の自宅から当日移動しようとすると、朝7:10東室蘭駅発の特急に乗らねばならないために、家を6時台に出なければならない。それは良いとして、あまり信用できないJR北海道のダイヤが少しでも乱れたら、セミナー開始時間に間に合わないので、雪も降りそうなこの時期には前日移動をするようにしている。

そんなわけで今日は移動日で札幌泊ということで、今晩は明日のセミナーを受講してくれる大学時代の同級生らとプチ前夜祭を行うことにしている。

今回は明日の札幌講演を皮切りにその後、東京〜大阪と7日間の講演の旅が続く。

札幌講演は、日総研出版社が主催する看取り介護セミナーである。札幌会場を皮切りに来年3月まで仙台・東京・名古屋・大阪・岡山・福岡と全国7カ所で行うこのセミナーは、「看取り介護セミナー」と冠しているが、そこでは人生の最終ステージに寄り添う責任を含めて、介護の本質を伝える内容となっているので、本物の介護を共に学びたい方は、是非お近くの会場にぜひお越しいただきたい。

ところで先日、このセミナーをはじめとした看取り介護講演に関連して、ブログ読者の皆さんにアンケートへの投票を呼びかけた。たくさんの皆様に回答していただき、改めてこの場でもお礼を申し上げたい。その結果については、「看取り介護アンケートの結果報告〜ご協力に感謝いたします」で報告しているので参照していただきたい。

その結果について、今日は別角度から考えてみたい。
アンケート結果
アンケートは二つあるがその中の一つ、『自分の最期の瞬間を誰かに看取ってほしいと思いますか?〜介護が必要な人が周囲に支えられていれば、旅立つときに側に誰もいなくとも、それは孤独死ではなく「ひとり死」であるといわれ始めました。あなたは周囲に支えられながら旅立つときに誰かに側にいてほしいですか?』というフォームへの投票結果を見ると、「ひとりで旅立ちたい」と答えている方の数が思った以上に多い。(※上のグラフを参照してください。)

そう考える人がいて当然だし、誰もその考え方を否定できるものではない。「ひとりで旅立ちたい」と考えている人が、「誰にも知られず終りたい。」・「孤独死はさびしいとか言われるがさびしいと思うのは周りの人が言うだけで本人はわからない。人は一人で生まれて一人で死んでいく。だからひっそりと一人で人生を終えたい」とコメントしている気持ちも十分理解できる。最期はひっそりとと考えているのだろう。

遺される人に思いを馳せて「ひとりで旅立ちたい」と答えている人もいるように思える。コメントの中には、「成人した娘が2人いますが心配掛けたく無いです」・「誰にも面倒を掛けたくない」・「苦しむ姿などを、人に見せたくない」など、旅立つ自分のことよりも、残される人に思いを寄せた選択であるかのような意見も見られるからだ。自分の終末期の援助のために、周囲の人に迷惑をかけたくないと考えている人も多いということだろう。

そのほかのコメントを見ても、決して投げやりに選択肢を選んでいるわけではなく、まじめに素直に自分自身だけではなく、遺される家族に思いを寄せていることが伝わるコメントが多かった。そのことに対して「」を感じると言ってしまえば、すごく薄っぺらい言葉になってしまうかもしれないが、それが僕が今感じている本当の思いだ。

このアンケートの前提は、「周囲に支えられながら旅立つとき」という前提だから、一人で旅立った後、自分の遺体が誰にも発見されず長い期間放置されるという心配をしないで答えてくれたものと考える。

そんなこともあってか「ひとりで旅立ちたい」と答えた人のコメントの一つに、「人間は一人で産まれ一人で死んでいくから孤独ではない。孤高死だと言える。生前迷惑がかからないように色々準備して、死んだら後始末をしてくれたら充分。」という意見も見られる。

これは結構大事な視点かもしれない。孤独死とか孤立死と言われる状態で「」を迎えざるを得なかった人の中には、数週間あるいは数カ月、その遺体が誰にも発見されず放置されてしまう場合がある。そのような遺体が発見された際には、特殊清掃が必要となり、その場所はもう誰も住めない状態になることが多い。

それだけではなく、そこに残された様々な遺品も廃棄せざるを得ない場合が多いそうだ。そうなると亡くなられた方が、遺された誰かに伝えたかった思いもその場所で途切れてしまう。自分の思いやエピソードを伝える、命のバトンが途切れてしまうわけである。

そのことも別に何とも思わないという人も多いのかもしれない。しかし逝く人がそうであっても、遺される者も何も感じないとは限らない。どんなに関係が悪化していても、血のつながりのある人が、逝く人に最後にどう思うかは様々だ。遺される者たちに、最期に逝く人の思いを伝える術があれば、それに越したことはないように思う。

そんな意味でもエンディングノートは、良いツールなのかもしれない。

明日からの看取り介護セミナーを前にして、今日は徒然と思いつくままのことを文字にした。その分、まとまりのない雑文になってしまった感がある。そんな文章に、お付き合いいただいた皆様に感謝である。

週末、札幌・東京・大阪でお会いする皆さんには、引き続き熱い思いと、最新の情報を伝えるつもりなので、会場でともに学びあいましょう。それではよろしくお願いします。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。