敬老の日を前に厚生労働省は14日、全国の100歳以上の高齢者(15日時点)が昨年より2014人多い6万9785人に上ると公表した。このうち女性が88.1%を占めているそうである。
都道府県別では、島根が6年連続で最多の101.02人で、鳥取の97.88人、高知の96.50人が続く。一方、埼玉は32.90人で29年連続の最少となり、次いで愛知36.78人、千葉39.34人の順となっているそうだ。
島根と鳥取に長寿高齢者が多いのは、神の国出雲のご利益だろうか・・・。
かつて「人間50年」と言われたわが国では、長生きすることが人生の最大目標とされていたことがある。その目標は達成されたわけではあるが、一方わが国では意思疎通ができない状態で、医療器具をつけたままで、ずっとベッドに横たわる高齢者の数も多い。
北大病院の医師である、宮本顕二氏と宮本礼子氏ご夫妻は、その共著本「欧米に寝たきり老人はいない〜自分で決める人生最後の医療より」(中央公論新社)の中で、ある療養型病床の日常風景を次のように記述している、
「病床の約7割の方が経管栄養か中心静脈栄養でその半数の方が、痰がつまらないように気管切開され、チューブが入っている。それらの患者さんに看護師が数時間おきに気管チューブから痰の吸引を行っているのであるが、吸引のたびに苦しむ患者の姿がそこにある。意識がない患者でも体を震わせて苦しむ姿がある。」
経管栄養が不必要だとか、悪者であるという論理は乱暴すぎるが。経管栄養が必要な人もおられる。しかし決して対象者のQOLを高めない状況が、本人の意思とは関係なく、延命のみを目的として経管栄養にしているケースによって生じている現状があることも事実だ。長寿国ニッポンの一面が、「悲惨なる延命」で支えられているとすれば、これは悲劇でしかない。
そうした状況を少しでも改善するための意識は高まっていると思える。例えば医療現場では、最期の迎え方を患者本人と家族、医師らが継続的に話し合う「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)の取り組みが進んでいる。
また政権与党である自民党は、終末期医療のあり方を規定した新法作成の検討に入っているが、そこではACPの考え方を盛り込み、患者の意思決定のあり方の透明化を医療現場に促す内容にしようと模索されている。
どちらにしても、今後の終末期医療の在り方を考える延長線上に、終末期を経管栄養によって伸ばす是非も含まれてくるだろう。その時に一番重要な点は、「患者本人の意思決定とその確認」であることは間違いない。
しかし終末期になった後に、その人の意思を確認することは難しくなる。よって意思決定ができ、その意志を表明することができる時期から、自分はどうしたいのか、どのような支援を受けたいのかということを確認するために、一人一人の国民がリビングウイルを宣言しておくことが求められるのだ。
そのことを実現する支援者も必要になる。しかしリビングウイルの宣言に関わる支援も、宣言する本院が終末期になってからでは困難となるのである。
そうすると終末期医療に関わるチームのうち、誰がリビングウイルの宣言のための支援を行うことができるだろうかと考えたときに、介護支援専門員は、利用者が終末期になる前から支援担当者として関わっている場合が多いことに注目してよいのではないかと考えている。
病状が悪化する前、意思確認ができる状態の時期から関わりを持っている介護支援専門員だからこそ可能となることがある。それがリビングウイルの宣言のための支援であり、そのことの役割をもっと意識した活動が、介護支援専門員には求められるのではないだろうか。
このことは介護支援専門員の皆さんに強く訴えていきたいと思う。近直の介護支援専門員の団体に向けた講演は福島県いわき市で予定されている。(参照:masaの講演予定)
3.11以降、僕は福島県に何度かお邪魔して講演させて講演させてもらっているが、10月13日(土)・14:00〜16:00、いわき市文化センター(福島県いわき市)で行われる、「福島県介護支援専門員協会主催公開講演会」で、「看取り介護を通して考える〜生きるを支える〜」をテーマに120分お話しさせていただく予定がある。
その際には、今日ここで書いた内容を含めた話をしてきたいと思う。福島県の皆さん、よろしくお願いします。
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