6日未明に北海道胆振地方を震源として発生した地震について、気象庁は「平成30年北海道胆振東部地震」と命名した。命名されるのは2016年に発生した「熊本地震」以来である。
ところで道外の方は、「胆振」という文字を読むことができるだろうか。「胆振」は「いぶり」と読む。被害の大きかった「厚真町(あつまちょう)」は北海道で起きた地震としては最大の震度7を記録した。

僕が住む登別は胆振地域であるが、震源直下の「胆振東部」よりやや西側で、「胆振中部」と称されている地域にあり、震度は5弱と記録された。下の画像は僕の寝室。ベッドサイドに倒れてる小物入れ(小型タンス)は、地震直後にベッドに寝ている僕の上に倒れてきたものを、ベッドサイドによけたものである。

登別市では幸い死者などの報告はなく、見渡した限り建物などの大きな被害も見られていない。
ただ地震直後から全市的に停電となり、避難所も開設された。停電のために信号機も消えてしまって、自動車の運転も非常に危険な状態で、慎重な対応が求められた。その状態は6日いっぱい続き、6日の夕暮れ後は真っ暗闇に包まれ、多くの家庭で「ろうそく」などのか細い灯の中、冷蔵庫の食材が腐ることを気にしながら、それらを処分するための夕食を摂ったことだろう。
情報収集については、乾電池で聞くことができる「携帯ラジオ」が一番役立った。電源が落ちているためWIFIもつながらず、インターネットの情報はスマートフォンでつなぐことができたが、それらを充電する術がなく困っている人が多かった。そのため充電サービスを行っている避難所などに多くの行列ができた。
自家用車のバッテリーで充電できる器具は便利だが、この状況で販売店も休業しており、新たに器具を購入することは難しかった。今後に備えてそれらの器具を購入しておくことが大事だと思った。
幸いこの地域は水とガスが通常通り使えたため、飲み食いすることに問題はなく、これには大変助かった。もしそれらが停まっていたら大変不便であったろうし、避難所に行くしかなかったと思う。
昨晩は電気の復旧の見込みがなかったので、早々に夕食を済ませて早寝した。そのため今朝は早朝5時過ぎに目が覚めたが、その時には電気が復旧しておりホッとした。しかし朝の時点で電気が通じているのは、北海道の5割の地域に過ぎないということで、登別市内や室蘭市内も信号機がすべて点灯しているわけではなく、主要交差点では警察官が立って誘導している状態だ。
断水している地域も多く、まだまだ不便な生活を余儀なくされる人が多いのが現状だ。
実は僕の二男が北電に務めている。かれは北海道の火力発電所の一つ、知内発電所に務めているのであるが、地震直前の6日午後から休暇のため実家に帰省していた。ところが今回の全道にわたる停電を受けて、昨日休暇返上で職場に駆けつけた。彼も今朝まで寝ないで復旧のために頑張ったと思う。
余震はまだ続いている。時々「ガタン」と1回だけ大きく揺れる状態が続いているが、これ以上の被害が出ないように祈るしかない状態である。
現在もJRはすべて停まっている。新幹線は午後から動く予定とのことだが、全道を結ぶ特急は今日も終日運休が決まっており、在来線の復旧見込みは立っていない。バスは信号が復旧した地域から随時動くのではないかと思うが、正常運転は数日先だろう。
昨日開設以来初めて終日閉鎖された新千歳空港は、午前10時から国内線ビルが開いた。午前の発着便はすべて欠航となってるが、午後の便から運行されているようだ。
明日僕は沖縄講演に向かう予定であるが、その便は福岡空港経由便である。今日午後の福岡便は搭乗手続きが始まっているので、明日は大丈夫ではないだろうか。空港までの移動手段が問題だが、陸の移動だからJRもバスも動かない場合でも、自家用車でたどり着ける。なんとか沖縄で待ってくれている方々に迷惑が掛からないようにしたい。
まだ確実にどうなるかはわからないが、粛々と準備しようと思っているところだ。
それにしても今回の災害発生時期は、冷暖房がほとんど必要ではない時期であったことが不幸中の幸いであった。全道電源喪失という事態が真冬に起きたとしたら、関連死が増えたのではないかとぞっとするのである。
胆振地方はこの後、大雨予報が出ている。土砂の下に埋まっていると思われる人や、その救助に当たっている人にとっては、あまりに無情で冷たい雨となる。2次災害が起きないことを願うばかりだ。
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