日本は今日、終戦の日から73年目を迎えている。

73年前の8/16以降に生まれた人はすべて、「戦争を知らない子供たち」というカテゴリーにひとくくりにできることになる。僕らもそのくくりの中にいる。

終戦の日なのか、終戦記念日というべきなのか、はたまた敗戦の日と呼ぶべきなのかは人さまざまに考え方があろうが、どのような形であれ、73年前の今日、あの悲惨で無謀な戦争に終止符が打たれたことは、今この国で平和を謳歌している日本人にとって幸福なことだと思う。

戦争には結果があって、当事国は勝者と敗者に分かれるが、敗者だけではなく勝者にあってさえなお、戦争は悲劇であることに変わりはない。戦争という争いがなければ生まれなかった悲劇が、勝者の側にも、敗者の側にもそこかしこに生まれていくのが戦争の本質だ。一方で、戦争であったからこそ生まれた幸福というものは存在しない。戦争は不幸しか生み出さないのだ。

自然の順番とは逆に、自分より若い命が先に奪われる場面に遭遇する「逆縁」が日常的だった異常な時代に、何よりも大事な我が子の命が、健康な体のままで奪われていくときの親の気持ちはいかばかりのものであったろう。「お国のため」とは言いながら、若い身で命を投げ捨てなければならなかった息子の死出の姿を見守る親は、どのような精神でその悲劇を耐え忍んだのだろうか。

日常に「死」があることに、当時の日本人は、どのように忍びぬいたのであろうか。

終戦によってそのような悲劇渦巻く時代には終止符が打たれたといえる。そん後の平和な時代に生まれた人は、戦争がないという幸運の中で、豊かな社会の恩恵を受けているといえる。

一方で平和ボケの日本人も、そろそろ未来永劫この平和が続く保障がないことに気づき始めている。この平和を守っていくために何をしなければならないのかを真剣に考えないとならない時代であることを実感している。

そうであれば、あの戦争体験者がまだ残っているこの時代に、その方々があの戦争中に経験した悲劇や、その中で抱いた哀しみの感情を拾い集めて、次代に伝えていく必要がある。戦争体験を語ることのできる歴史の証言者たちも、あと20年もしないうちに居なくなるかもしれない。最期の証言者たちがいるこの時代に、目を覆わず耳をふさがずに、どの戦史にも載せられていない名もなき一市民の悲惨な体験談を語り伝えてもらう必要がある。

戦争が終わった昭和20年(1945年)という年は、終戦の年であると同時に、たくさんの日本人が、たくさんの非戦闘員である無辜の民が、無差別に命を奪われた年である。米軍が上陸して陸戦が行われた沖縄で、人類史上最も無慈悲で残酷な原爆被害にあった広島と長崎で、そして日本軍が制空権を牛なったことにより無差別に爆撃された全国各地で、たくさんの悲劇と惨劇が繰り返された。

日本の都市の中では京都市と並んで、札幌市がほとんど被害を受けなかったという奇跡はあるが、北海道全体を見渡すと、終戦の日の1月前である7/14〜7/15にかけて大空襲が行われ、室蘭・釧路・根室・函館・小樽・帯広・旭川を心に甚大な被害が生じた。そこのは戦史に決して載ることがない幾多の哀しみと慟哭が存在していたであろうことは想像に難くない。

今日という日は、すべての戦没者の冥福を祈りながら、この国が再び間違った方向に進むことがないように誓いを胸に刻む日である。平和な時代に生まれたことに感謝しながら、その礎となっているのは何かということにも思いをはせ、いつか来た道を進まない知恵を大切にしなければならない。

そして改めて命の尊さをかみしめながら、命と向かい合う対人援助という職業の中でできることにも、思いを寄せたいものである。

介護福祉業界の人材ケアマネジメントセミナー
※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。