サッカーワールドカップの日本VSベルギー戦を観戦して、日本中で寝不足の人が多い火曜日だと思う。
結果は残念だったが、選手は素晴らしく頑張った。プロとしての技と情熱をしっかり見せてくれたと思う。彼らが帰国する際にはリスペクトの思いを込めて、感謝と拍手で迎えたいものだ。
彼らの頑張りを見習って、今日は一日眠い目をこすりながらも、そのことを利用者に気取られないように、プロとしてしっかりとした思いを込めた仕事をしたいものだ。
僕たちも対人援助を職業としている以上、そこではプロとしての姿勢が求められるからである。家族と同じでは困るし、素人同然の状態で利用者に相対することは許されないのである。そのことをしっかり自覚してほしい。
僕たちの仕事は対人援助であるがゆえに、サービスの場に常に利用者の存在がある。その方々は単なるサービス利用者であるだけではなく、お金を支払ってサービスを受けてくれているのだから、サービス提供者にとって「顧客」である。顧客に相対して接する仕事が「介護」である。そこでは常にコミュニケーション技術が、言語・非言語両面で求められる。そのスキルを常に高めるプロとしての仕事をしているだろうか。プロとして意識を高めるために、コミュニケーションの方法にも気を使っているだろうか。
全産業を通じて顧客に対して、「ため口」がまかり通る職業は、保健・医療・福祉・介護の仕事以外にない。他の職業で顧客に対して丁寧語で話しかけるべきかということは議論にさえならない。それは極めて当然のことだからである。
そういう意味では、顧客に対し「ため口」で会話する職員が常にいて、丁寧語で顧客と会話することが課題になったり、善悪の議論になったりする介護事業とは、極めて異常な職業である。
その状態は、職業としての成熟度が低いと言われても仕方がないし、そうした「ため口」での顧客対応しかできない職員は、能力が足りていないと非難されてもよいだろう。品性を語るまでもないほど、どうしようもない能力の持ち主が多いという意味だ。そうした能力の人間でも、介護という職業について労働対価として報酬を得られる状態は恥ずかしいことである。そういう仕事しかできない人は恥ずべき存在である。
それは介護という職業が、施しという意識から抜け切れずに、真の意味での職業にまで成熟していないからかもしれない。いつこんな状態から脱して、介護が職業として成熟し、その仕事に従事する人々がポロとしての矜持を抱けるのだろうか。
それができない限り、介護の職業で得られる対価が、他産業で得られる対価より低いことはある意味当然とされ続けるだろう。
職業としての成熟度が低く、顧客対応さえ満足にできず、顧客に対してため口で接するという非常識な状況がまかり通っている介護という職業が、職業として成熟し、適切な顧客対応ができる他産業の平均給与よりも低いのは当たり前だと言われても仕方がないのである。
いわば現在の介護という職業の社会的価値は、「安かろう悪かろうサービス」の域を出ていない状態といえるのである。
すべての介護経営者が、このことに気が付いて、介護事業者における職員教育として、顧客に対するサービスマナー研修が定期的に行われ、顧客満足度と接遇を繰り返し検証するようにしていかないと、この状況からの脱却は難しいだろう。
経営者が自ら範を示し、顧客対応としてふさわしい言葉遣いが常にできるようにするのは当然で、その姿勢を管理職に求め、管理者職も各部門のリーダーに範を示したうえでそのことを教育し、従業員すべてにその姿勢を浸透させていくしか方法はない。
経営者の思いを伝える地道な職員教育と、それぞれの部門のリーダーにその範を示すことを職場のルールとしていかないと、一度乱れた言葉遣いはずっと変わることがないだろう。その改革には時間がかかるが、時間がかかるからこそ、変わった状態は財産となることを信じて、日々の努力とあきらめない姿勢が求められるのである。
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