在宅復帰率を高めるために、中間施設というよりは通過施設としか言えないような老健があるという問題を昨日の記事で指摘したが、中間施設という言葉を施設側の都合の良い理屈で使い、利用者に対するサービスの品質を著しく低下させている老健も存在している。

外から見ているとこうした問題になかなか気が付きにくいのだが、特養という生活施設から老健という施設に転職し、千歳市の老健で1年間働いて感じた問題がこの問題である。このことも老健施設の存在意義が問われるもう一つの問題といえる。

在宅復帰施設であり、そのことを中間施設と表現している老健ではあるが、場合によっては認知症専門等を持つ場合がある。その場合対象者は、認知症日常生活自立度が概ねa以上の方となっているため、中・重度の認知症の方が数多く入所しているわけである。

老健の目的や機能からして、当然そこでは専門的な認知症リハビリテーションが行われ、在宅復帰を目指すものでなければならないはずだが、僕がそこで見たものは、認知症リハビリテーションといえる代物ではなかった。

麻雀・花札・トランプ・お絵描き・簡単な計算・・・学習療法とは程遠い「遊び」に近い活動が認知症リハビリと称されていた。それらの活動メニューであっても、心身活性化効果は期待できるのかもしれないが、これって通所介護でも特養でも行われているような活動メニューで、老健も同じなんだなあという感想しかなく、専門的な認知症リハビリテーションというものに触れて、新たな学びを得ようとした僕の目論見は外れたといってよい。

当然と言っては何だが、そこでは(一般棟も含めて)在宅復帰率は極めて低く、認知症専門棟に何年も暮らしている人がたくさんおられ、実質的にそこは生活の本拠となっており、リハビリテーションンのための一時的な滞在場所という感はなかった。退所する場合も、その後の居所は特養であったりグループホームであったりするケースがほとんどで、在宅復帰はまれであった。

にもかかわらず、老健が中間施設で暮らしの場ではないという理屈によって、利用者の暮らしの質はほとんど無視されていた。入浴は最低基準の週2回で十分とされ、一人としてそれ以上の回数の入浴を試みるということもされていなかった。汗をかきながらリハビリテーションに励む施設で、週2回しか入浴できないことが普通の生活といえるのかという感覚を持った職員は皆無だった。

日常的に着替えをしない利用者も、「いるのが当たり前」的な雰囲気で、日中着がそのまま寝間着とされている大勢の人がいた。これは僕が以前施設長を務めていた特養と大きく違う点だ。

そういえば夕食の早出しもひどい状態だった。昼食が12時からなのに、それを食べ終わった人が、食事介助に時間がかかるという理由で、夕食を夕方5時前から食べさせられていたりした。さすがにそれはおかしいと指摘した覚えがある。一番驚いたのは、人手が足りないので食事介助が必要な人は一般病棟には入所させないと宣言している介護主任がいたことだ。堂々とした法令違反を通す姿は、もう笑うしかなかった。

暮らしの場である特養と同じように、長期の利用になっている利用者が多くなっているにもかかわらず、中間施設であり在宅復帰のための一時的滞在場所だからという理屈を都合よく使いながら、自分たちのやりやすいように利用者の生活に枠をはめて、暮らしの質など顧みないというのがその老健であった。

このように介護施設という看板を下ろしてほしいような老健も存在するのだ。

その原因が中間施設という意味を、自分たちの都合の良い方向で使うという結果であるとしたら、ずいぶん都合の良い便利な冠をつけたものだということになる。中間施設という意味を、在宅復帰機能という観点から今一度考え直さなければならないと思う。

そして中間施設といえども、そこに一定期間の暮らしがある以上、当たり前の暮らしを送るために何が必要なのかを、今一度生活者の視点から問い直さねばならないと思うのである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

・masaの最新著作本「介護の誇り」は、こちらから購入できます。