僕が社会福祉法人の特養で総合施設長を務めていた当時、人事考課は実施準備を進めている段階で、それを賃金と結びつける成果報酬制度も始動していなかった。
そのため法人内の人材評価は、昇格という人事評価で行っていた。当然、その最終決定権は僕が持っていたわけであり、そこでは僕自身の人材評価のスキルが問われていたといってよいだろう。
当然、その人事に不満を抱く人もいたと思う。しかし僕の評価基準は常に同じ基準であって、それはぶれることはなかった。
僕が管理していた範囲は、100人定員の特養と12人定員の短期入所生活介護、30人定員の通所介護と居宅介護支援事業所であった。
そこでは季節ごとの歳時・年中行事を大切にするという意味で、特養でも通所介護でも、様々なイベントやアトラクションが行われてきた。それらのイベントを行う際に、ほかの人が考え付かないようなすごいアイディアを出して、イベんと全体を企画できる人がいた。そのことによってイベントは大いに盛り上がり、利用者の皆さんも大喜びする姿が見られていた。
そうした企画をする本人も、そのことが得意であるという自覚があり、それが自分の才能だと感じていたと思う。
しかし僕はその人を現場リーダーとして昇格させることはしなかった。むしろ同じ経験年数の別の人を昇格させることがあった。そのため最終的にその人は自分の企画力が正当に評価されていないと不満を持ち、やがて退職していった。だが僕は今でもそのことを後悔していないし、今でも間違った評価だとは思っていない。
なぜならその人はイベントの企画力に優れてはいたが、日常業務の様々な場面で、「漏れ」が見られたからだ。例えば当然上司に報告すべきことをしていなかったり、提出期日が決められている記録の提出期限を守ることができなかったりするなどの傾向があった。僕はそれではリーダーは務まらないと判断したのである。
もちろんそのことは本人に改善すべき点として告げていたが、目に見えての改善は見られなかった。
僕が対人援助という介護事業の中で、一番大事にしているのは特別なことではなく日常である。特別な行事も大事だが、それは日常の暮らしがあって初めて存在するものだと思うので、日常支援をおざなりにした特別な行事はあり得ないと思っている。
そのため職員に対する評価も、日常の当たり前の行為がきちんとできるかをまず見ていた。
遅刻しないで出勤し、始業時刻と同時にコツコツと目立たない作業を行いながら、利用者への気配りや整理整頓ができたり、他の職員を助ける行為などをやり遂げている人材を評価してきた。
つまり凡事徹底を行える人材の評価に努めてきたという意味である。
そのために僕自身が、法人内の全体を見なければならないと思ってきたし、その中で法人の「当たり前」を周知徹底する役割があると思っていた。法人内で「介護サービスの割れ窓理論」を唱え、利用者への丁寧語を徹底することもその一つである。そんな風に経営者や管理者は職員の心を鼓舞し、地道に働く人にスポットを当てる役割を持つと考えてきた。
そのことを信念としながら組織を方向付けてきたつもりである。今でもその考え方は基本的に変えていない。
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