介護の仕事が社会の底辺であると言われることがある。

給与をはじめとした待遇の悪さ。〇〇Kと呼ばれるような就労環境の悪さ。職員間の人間関係を良好にする難しさなどの職場環境の問題。人が足りないことで過酷となる労働環境や、認知症の方々の行動が理解できないことなどで生ずる様々なストレスを抱える問題etc.

介護という職業の大変さ、労働環境問題、それに対する対価の低さを挙げれば切りがないと言えるのかもしれない。

しかし僕自身は対人援助の場に職業を得て、特養という介護施設を中心ステージとして活動し、はじめは月10万円に満たない手取りであったが、それも少しづつ増えていき、その中でやりがいや目標を見つけ出し、感じ取ることができる仕事の面白さを得て、そこで様々なものを手に入れてきた。

医療機関の寮での一人暮らしから始まった僕の社会人生活であるが、いつしか家族ができ、妻との間に二人の子を得て、その子らが大学や専門学校を卒業し、今では立派に巣立って社会人として活躍している。その間に家を建て、そのローンの返済も定年を待たずに終えている。僕の妻は結婚後一度も仕事に就いたことがない専業主婦だから、僕ら夫婦は共働きの経験はない。つまり僕ら家族が今まで得てきたものは、すべて介護という職業で得た対価によるものである。

その暮らしは決して贅沢とは言えないけれど、社会の底辺という環境で生きてきたということでもないはずであり、人並みの暮らしは送ってきたと言える。

僕は特養の施設長を長年務めてきたが、その期間は、正職員である男性介護職員が、家族を養えずに共働きしなければならないのはおかしとして、国家公務員並みの給与規定はきちんと守り、職員に適正給与を支払い続けてきたという自負もある。

僕とつながりのある全国の仲間も、清貧の暮らしを送っている人ではなく、介護という職業に生きがいを感じながら額に汗する過程で、組織の中で一定の地位を手に入れ、それなりの対価を得てきた人がほとんどだ。その中には、独立して会社を経営し、経営者として社員を養いながら、そのトップにふさわしい対価を手にしている人も数多く存在している。

そもそも年収がいきなり500万から始まる職業などそう多くはない。就業者数が一番多いサービス業なんかは、年収が200万円の前半から始まる仕事が多数派である。その中でスキルを磨いた人が年収1.000万以上に昇りつめていくのだ。

社会福祉法人が経営する特養の施設長は、とてもではないがそのような年収になることはないが、それでも頑張ってその地位に就くことができれば、年収700万とか800万とかにはなるだろう。要は年収240万から始まった人たちが、そこまでのぼることができるスキルを獲得しているのか、チャンスをつかんでいるのかという問題である。

介護の職業を「底辺化」している問題も確かに存在する。経営能力のない経営者が、借金をして小規模事業を立ち上げても、そこで職員を育て護りながら、事業収益を伸ばす能力がないと、そこは単なる搾取の場にしかならず、仕事の質は落ち、得られる対価も低くなり、従業員の暮らしは底辺化する。

そこでは職員が仕事に誇りを持つことができないから、対人援助の場であるにもかかわらず、顧客である人を人と見ないで、物扱いすることになる。待遇が悪い職場では教育にお金をかけないので、悪貨が良貨を駆逐するように、スキルの高い人材がいなくなり、残された劣悪なスキルの職員によって対人援助は、最も劣悪な作業労働化されて、仕事のやりがいなど存在しなくなる。

やりがいのない仕事を、おざなりにこなしている人に、多くの対価は支払われないのは至極当然である。そこで生まれる底辺とは、職業そのものの本質なのか?そうではないだろう。どの職業にも頂上があれば、底辺もあるということだ。

事業経営者が職員を育てて、スキルに応じた報酬を手渡し、顧客を確保しながら、事業規模を拡大して、組織全体の収益構造を拡大していく職場に社会の「財」は集まるのである。それは人材であったり、大きな収益であったりする。それを適切に従業員に手渡していくかどうかが、事業継続できるか否かの大きな分かれ目になる。

従業員の側にも覚悟が必要だ。介護の仕事の限らず、どの職業であっても自らのスキルを高めて、そこで求められる結果を出さない職員には地位も名誉も対価も与えられないのである。

介護の職業に対して、その待遇の悪さを嘆き、恨み、愚痴を言い続ける人の共通点は、文句言う暇があったら働けよといいたくなるスキルの低さである。そういう人たちは、介護という職業に存在する財を手にすることはできないのだ。

介護の職業によって底辺にはまる人は、介護という職業に存在する這い上がるチャンスを得るスキルのない人達だ。それが証拠に、介護以外の民間営利企業で働いていた人が、介護職に転職した後、そこで立派な地位と対価を得て、仕事の喜びを感じて働き続けている人が何万人も存在する。

つまり介護の職業を底辺化するものは、能力のない介護経営者であったり、介護の仕事で本気で結果を出そうとしない・出すことができない自らの能力であったりするのだ。そんな人であっても、能力に合致した仕事は別に存在するかもしれず、自分の能力にマッチした職業に就けば成功はできるだろう。

介護の職業で底辺を抜け出せなかった人が、他の職業で成功したからといって、過去の悲惨な暮らしを介護という職業のせいにするのは真実から目を背けるだけの行為に思えてならない。いつまでも自分に合わなかった職業に、「恨み節」を唱えていてもしょうがない。そういう妄執から一にとも早く抜け出してほしい。

底辺化する要因は、職業そのものに存在するのではなく、能力に存在することを自覚すべきである。


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