新年早々、認知症のドライバーによる悲惨な交通事故がまた起こった。

9日午前8時20分ごろ、群馬県前橋市北代田町の県道で、85歳の男性が運転する乗用車が、始業式のために登校途中の自転車の女子高校生2人をはねた。女子高校生は2人とも意識不明の重体。

加害者は走行中、対向車線にはみ出し、路側帯を走っていた女子高生をはね、民家の塀に衝突した後、さらにもう一人の女子高生をはねた。さらに走行車線に戻り、渋滞で止まっていた軽乗用車に衝突したという。現場にブレーキ痕はなかったそうである。なお加害者の男は頭に軽傷を負った。

目撃者は、「渋滞の車列に並んでいたら、ものすごい速度の車がセンターラインをはみ出して追い越していった」と証言しているという。

この事故については上毛新聞社のネットニュースが画像も含めて詳しく報道している。

別の報道記事では、『男性の息子の妻(56)によると、男性には普段から物忘れなどがみられ、免許返納を勧めていたが拒まれていた。昨秋には認知機能検査を経て免許が更新されたという。「物損事故を数え切れないくらい起こし、いつも『運転はやめて』と話していた。今朝も(家族にとめられないよう)隠れるように出て行ってしまった」と話す。「高校生の子が心配で、心配で……。本当に申し訳ない」と涙を流した。』とされている。

認知症ドライバーが運転する車の事故により、尊い命が失われる事故が後を絶たない。そのために道路交通法を改正し、75歳以上の高齢者が運転免許の更新時か違反時に「認知症のおそれあり」と判定されたら、例外なく医師の診断が必要になり、認知症であると診断された場合、運転免許は失効・取り消しされるようになった。

しかしこの診断に関わる医師の中には、認知症だからといって運転できないわけではないと言って、免許の失効・取り消しに反対する意見もある。(参照:認知症診断で運転免許を取り消す法律について

そんな悠長なことを言っていてよいのだろうか。

そもそも検査がされる前に認知症の症状が出ている人は、この法律改正でもカバーできない。

そうであるとしたら、すべての国民が、認知症であっても運転行為はできてしまう(参照:記憶を失っても、感情が残される理由)という事実を知るとともに、その状態は正常な運転ができているわけではないという危険性を十分認識し、病識のない認知症高齢者本人には、運転をしないという判断力も欠如しているので、家族などの周囲の人々が、何が何でも運転させないという方策をとらねばならないことを自覚すべきである。

今回のような悲惨な事故が起こった後に、『あの時に鍵を取り上げていればよかった。(被害者が)大変心配』なんていっても始まらないのである。鍵を取り上げていなかった家族の責任も問われて仕方のない問題なのである。

居宅介護支援事業所の介護支援専門員で、認知症の症状が出始めた利用者に関わる人は、当該利用者が運転しないための支援を行う必要性がさらに増すだろう。その自覚が必要だ。

同時に自動車メーカーには、自動運転技術を1日でも早く確立してほしいし、国もその方向で法改正を行ってもらいたい。しかしそれがまだまだ先であるという現状を考えるなら、自動車メーカーは、とりあえず手続き記憶だけで運転できる車の製造を止めてもらいたい。その技術は簡単なことである。車のカギをもって、ボタンを押すだけでエンジンがかかってしまうのではなく、そこに暗証番号を打ち込むという1手順を加えないとエンジンがかからない仕組みにするだけでよい。そうするだけでエピソード記憶が低下している認知症の初期段階の人は車のエンジンをかけられなくなり、今回のような事故は大幅に減るだろう。

車を運転しなくとも、高齢者の生活上の移動手段を整備して確保する方策も必要だが、幼い子供や未来のある若者が、認知症高齢者の運転の犠牲になる事故が、毎年増え続ける現状を考えるならば、認知症になったら運転させない、認知症になる前に、一定の年齢を過ぎたら運転行為から勇退するという考え方が当たり前となる社会を作ることが求められるのではないだろうか。

尊い命を護るために・・・。
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