昭和60年代に特養でターミナルケアの取り組みを行おうとした当時、相談援助業務(当時は生活指導員)だった僕は、他の職員たちとターミナルケアの研修を受講したいと、道内のいろいろな情報を探ったが、なかなかそうした研修は見つからなかった。

そこでとある医療機関とタイアップして、看護師さんを派遣してもらって、定期的にターミナルケアの研修を受けることにした。

当時を思い返すと、そこでターミナル期の対象者の方々の変化や、予測される容態、それに対応する方法など、それなりに学びはあったのであるが、介護施設として、そこで看護職員ではない他職種の職員が、自らの役割を理解して、何をすべきかということが中々見えなかった覚えがある。

そんな中で、僕たちは自らの実践の中で真理を探し、それを言葉や文章にして伝え、介護施設での看取り介護の意味や役割を、自分たちの言葉で伝えようと考えるようになった。

その中心的役割を担った僕には、いつしか医師会や看護協会から、「介護施設におけるターミナルケア」をテーマにした講演依頼が舞い込むようになった。

看取り介護という言葉もなく、看取り介護加算という算定費用もない時代から、そんなお話をしている。その後加算が新設され、僕自身がオリジナルの「看取り介護指針」を作成したことがきっかえで、看取り介護をテーマにした講演依頼が増えて、今では全国各地で、「看取り介護」をテーマにお話しさせていただけるようになった。

そんな中、北海道看護協会が毎年実施している、「介護保険施設等における看護職のためのリーダーシップ‐日常生活支援から看取りまで」という研修の中で、「看取り期のケアの理解」という1講座を担当するようになって、かれこれ5年になる。毎年講師としてご招待を受けるということは、僕の講義がそれなりに、看護師の皆さんの学びになっていると評価を受けているという意味だと考え、大変ありがたく思っている。

今年もその講座が明後日、年9月2日(土)13:30〜16:00、北海道ナースセンターで行われる予定である。

この研修の目的は、
(1) 施設での看取りのケアについての概念が理解できる。
(2) 施設での看取りに必要な知識技術について理解できる。
(3) 介護保険施設等の看取りの実践例から本人、家族への支援について理解できる。


とされており、具体的には、

・施設における看取りのケアの考え方
・看取りのケアの実際
・利用者、家族の自己決定への支援
・施設におけるグリーフケアの実際


についてお話しする予定である。

これからの時代、日本で暮らす人々は、いろいろな場所を死に場所としていかねばならない。できれば暮らしの場所が、最期の時間を過ごす場所でありたいと思う人も増えるはずだ。

そこで看取り介護の対象となる人の状態像とは、延命治療を必要とせず、看護師が対応しなければ安楽な状態を保つことができない人とも限らない。在宅であっても、訪問診療や訪問看護で、医師や看護師が関わっていたとしても、大部分は家族などのインフォーマルな支援により、死の瞬間は家族が手を握って看取っていくことになる。

医療従事者が大部分の支援を行わねば適切ではないという偏見をなくし、死の瞬間に医師や看護師がそこにいなければ安楽と安心は得られないという偏見を超えて、新しい安心と安楽な看取り介護を作り上げていくという姿勢が、すべての保健・医療・福祉・介護関係者に求められるのではないだろうか。

自分が将来、どこでどのように死にたいかを考えながら、今より死者数が405千人増える社会の中で、すべての国民が安心して看取り介護期を過ごすことができるように知恵を絞っていかねばならない。そして・・・安心・安楽に最期の瞬間を迎えられるかということが、財産や収入の多寡で決定づけられ、格差が生じたり、自己責任という言葉で放置されてはならないことだけは強く主張しておきたい。


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