今朝、宅配された朝刊を見てふと気づいたことがある。お盆の売り出しなどの宣伝が一段落したためか、広告チラシが1枚も入っておらず、朝刊のみで届けられている。
これは珍しいことだ。いつもなら数種類の折り込みチラシが必ず入っている。
インターネットニュースの普及などで、最近の若者などは、新聞離れが進んでいて、一人暮らしの人がわざわざ新聞をとることもなくなってきつつある。それでも新聞に折り込まれているチラシの情報が必要だとして、新聞を定期購入する人もいると聞く。特に新聞の折り込みチラシは、ネット情報にはない近直の地域店舗情報であるために、決してなくならないニーズだと思う。
そんな折り込みチラシが1枚も入っていない新聞は、僕の目にはやけに寂しげでか細く映る。
さて一方、新聞記事はどうだろう。今朝の朝刊記事では世界選手権の400mリレーで、日本が銅メダルに輝いたという記事が1面に踊っているが、同じ報道記事はネット上では昨日朝に速報されているものだ。
また全米プロゴルフ選手権で、松山選手がメジャー初制覇を逃したことは、今朝のネットニュースで盛んに報道されているが、新聞にはそのことは1行たりとも載っていない。
そういう意味では、速報性で新聞はインターネットにかなわないことははっきりしている。
そうであれば読者としては、宅配してくれるとは言っても、わざわざお金を払って、新聞を定期購読する必要はないと考える人は増えるだろうか。しかし今現在、僕のように新聞を定期購読している人の中には、ネットを使いこなしている人も含まれるはずだ。それらの人は、新聞報道と、ネット上の報道をどう差別化してみているのだろうか。
僕自身はあまり意識したことはないが、ネット報道の場合は、あくまで自分が興味あることを目にした部分を、クリックして追いかけて、そのことの情報を得るということに終わっているような気がする。
一方、新聞からは、自分が興味ある情報のみならず、様々な情報を知らず知らずのうちに得る結果につながっているように思う。自ら調べようとしてつなげなくても、そこに活字として存在しているニュースを、何気なく見てしまうというのが、アナログの紙面の特徴のような気がする。
例えば今朝の北海道新聞は、終戦の1月前の昭和20年7月14日、15日に、米軍による北海道空襲が行われて多大な犠牲者が出たことについて書かれており、記録には残されていない犠牲者についての記事が掲載されている。こうした記事は、紙面に乗せられているからこそ目にすることができるもので、よほどそのことに興味のある人ではない限り、ネットで調べてたどり着くような種類の記事ではないだろうし、ネットサーフィンの途中でたまたま目にするという可能性も極めて低い記事だろうと思う。
しかしこの史実は、道民として知っておくべきものだし、この記事を目にして初めて、終戦からわずか月前に北海道各地が米軍の攻撃を受け、記録に残っていない数多くの犠牲者が出たことを知った人も多いのではないだろうか。そのことはとても意義のあることだと思う。
そもそも新聞とは本来、その国の英知を代表する言論媒体であるはずだ。新聞記者の方々は、そのことに使命感と誇りをもってほしい。
国家や政治家におもねるような記事を書いたり、言論操作を目的とした記事を書くなど、記者の風上にも置けない筆の使い方に恥を感じてほしい。矜持をもってペンを用いてほしい。
介護関連の報道記事も、国の発表をうのみにして、介護サービスの場の感覚とかけ離れた内容となっている記事も多い。偏向データでゆがめられた情報を、そのまま記事にしている安易な姿勢も見られる。
専門家の意見を多角的、多方面から聞いて、裏をとって記事にするという姿勢は常に必要なはずだ。
単に世の中を流行を追うのではなく、この国の英知を代表する言論機関・言論媒体としての新聞の役割を忘れないでほしい。
そういう意味では、イデオロギーの違いを攻撃しあう新聞社間の喧嘩に終始する姿勢もどうかとは思う。
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