北海道から遠く離れた九州ではあるが、僕は九州の全県で講演経験があり、今現在も毎年数多くの講演依頼を受けて、年間最低10回以上訪問機会がある場所である。

そのためか九州はとても好きな場所で、それは食べ物やお酒がとてもおいしいだけではなく、とても素敵な人がたくさんいて、そんな人たちとの繋がりが広がり続けている場所であり、次はいつ行くことができるかと、いつも心待ちにしている。

そんな九州の窓口を開いてくれた最初の講演地は、長崎県であった。

それが何年前のことか忘れてしまっているが、長崎市や佐世保市、島原市などで過去に数多くの講演機会をいただいている。今年も長崎港からさらに船で100分かかる新上五島町からもご招待を受け、飛行機とバスと船を乗り継いで、2日がかりでたどり着く11月の講演旅行を、今から楽しみにしている。

そのようなご縁をいただいている長崎県の長崎市は、鎖国時代には西洋に開かれた窓口として栄え、開国後も外国人居留地が設けられるなど特異な歴史と文化を育んできた街でもある。そこは海、山、川などの自然と、道路、橋、建築物等の人工的な構造物によって構成される美しい街だ。

しかし72年前の今日、その街は炎と放射能に覆われ、焼き尽くされた過去がある。

昭和20年8月9日午前11時02分に長崎市浦上地区に原爆が投下された。当時の長崎市の人口はおよそ24万人。その年の12月末までに73.844人が亡くなった。

その3日前、8月6日午前8時15分に広島市に原爆が投下れた際には、当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡したとされる。

生き残った人々の人生も無残なものに変えた許されざる行為が、原爆投下である。

毎年、広島原爆の日か長崎原爆の日に、このタイトルでブログ記事を書いているが、年々平和が奪われる脅威が迫っているように思えてならない。この平和な国を守るために僕たちには何ができるだろうかを改めて考えたい。

先ほど11:02に、ここ登別市でも黙とうの合図となるサイレンが鳴り響いた。3日前の8:15にも鳴り響いたであろう(僕は岡山滞在中で聞いておりません)同じサイレンの音を聞きながら、今日も深く頭を垂れ祈りを捧げた。

無辜(むこ)の民を情け容赦なく無差別に殺傷する行為は、人類史に残る汚点である。そのような被害を受けた国に住むものとして、戦争を体験した世代、戦争を知らない世代に関わらず、その理不尽さと平和の尊さを訴え続けていかねばならない。

そんな国の政府は、唯一の戦争被爆国でありながら、7月に国連で採択された核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しなかった。僕にはその姿勢はさっぱり理解できない。恥ずかしいことだと思う。

復興した美しい街並みを見ながら、あの日の長崎、あの日の広島に思いを馳せ、この平和を守り続けるために何ができるのかを考えなければならない。

そしてあの戦争で亡くなったすべての人々に対し、安らかなれと心より祈り、この平和で美しい街並みを、永遠に守り続けることを誓いたい。

悲劇を繰り返さないでと祈り続けたい。



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