Tさんはパーキンソン病を患い、手の震顫(しんせん)に悩みながらも、特養で一部介助を受けながら、自分でできることを頑張ってし続ける芯の強さをもった方だった。
身体状況には日内変動があり、その状況も月日の流れとともに緩やかに衰え続けていたが、決して絶望することなく、周囲に笑いを振りまく明るい性格の方でもあった。
Tさんの最大の楽しみは、「入浴」である。手の震えのため、洗身は介助が必要だったが、身体を支えてもらいながら浴室内を移動し、大きな浴槽につかるのがTさんにとっては至福のときである。
幸いその特養には、源泉かけ流しの天然温泉浴室があり、(曜日は決まっているが)希望すれば夜間入浴もできたし、ほぼ毎日入浴できる施設だったため、Tさんにとっては満足度の高い暮らしを送ることができる場所であったといってよいだろう。
そんなTさんに肝臓がんが見つかった。そのときは手術で癌を切除したが、1年後に再発しただけではなく、他の臓器にも転移しており、「がん末期」という診断を受けた。年齢がまだ60代と比較的若かったことも、がん進行の一因であったかもしれない。
Tさんは余命半年と診断され、施設で看取り介護を行うことになったが、そのことはTさん自身には知らされることはなかった。しかし徐々に身体が弱り、看取り介護に移行してから数ケ月後には、ベッドから離れられない状態となり、Tさん自身、察するものがあったようで、自分がもう長くはないという覚悟をもたれていたように見えた。
そんなある日、Tさんから「風呂に入りたい。」という希望が出された。
Tさんの現況は、身体状況の悪化と体力の低下で、入浴ができない状態と判断されていたため、我々はTさんに対して毎日体清拭を行って保清援助を行っていた。そのためTさんがお風呂に入れなくなってすでに10日が過ぎていた。
そのような中の希望であり、本当に入浴が可能かどうかを話し合った。特に浴槽に入ることは体力を奪うことにつながらないかと考える人も多く、様々な意見が出された。しかしTさんの希望をかなえてあげたいという気持ちは、全員共通していたので、担当医に相談を持ちかけた。
その結果、バイタルが安定しているのなら、湯船に浸かる時間があまり長くならないように注意して入浴することはやぶさかではないという指示を得た。
ただこのときのTさんは、ベッドに臥床状態が続いていたので、特浴で入浴支援を行うことが当然のように考えられており、事実我々は特浴対応で入浴支援を行った。
Tさんはさぞかし喜んでくれると思った我々は、無事入浴支援を終えて数時間後に、「お風呂気持ちよかったですか?」と尋ねてみた。そのとき帰ってきた答えは、「風呂?そんなものに入っていない。」であった。
もともとTさんは認知症ではなく、記憶障害の症状も見られていない方である。がん症状の進行で、身体レベルが低下したとしても、数時間前の入浴を覚えていないわけがない。しかしその表情は険しく、希望がかなってうれしいような表情は見て取れなかった。
そのとき我々は気づかされた。
それは、Tさんが望んだ「風呂に入りたい」という状態は、機械浴で流れ作業のようにお湯に浸かることではなく、臥床状態になる前のTさんが、大きな浴槽の中で手足を伸ばして気持ちよさそうにお湯に使っている、あの姿を望んでいるのではないかということにである。
「もしかしてTさん、温泉に浸かりたいですか?」、その問いかけにTさんは当然のようにうなづいた。
Tさんの希望が単に入浴するという行為を行うことではなく、以前のようにくつろいで温泉に浸かりたいという希望であることに気がつけず、入浴できさえすればよいと思い込み、Tさんがそれまで入ったこともない機械浴で対応することは、Tさんにとっては何も意味のない行為であったのだ。
その2日後、体調を身ながら、二人がかりで温泉浴に入ってもらったときのTさんの表情は、それはもう晴れ晴れとした表情であった。その日から12日後にTさんは旅立たれたが、それまでの間にも数回の温泉浴支援を受けて、その都度満足そうな表情をされていた。
このケースから我々は、看取り介護対象者の方でも、湯船に浸かるという、日本人が長く続けてきた文化を護って支援することの重要性を再認識するのと同時に、支援対象者の生活習慣に応じた入浴方法という配慮が求められることも再認識した。
そして看取り介護対象者だからといって、湯船にゆったりと浸かってお風呂に入る機会を、簡単に奪ってはならないことを肝に銘じ、以後、看取り介護対象者がいつまで入浴支援を受けることができたのかを必ず記録し、その時期や方法について適切なものであったかを、デスカンファレンスで話し合うことを通例とした。
このことに関連して、特養の医師も勤めている中村 仁一氏は、ベストセラーになった著書「大往生したけりゃ医療とかかわるな〜「自然死」のすすめ」(幻冬舎新書)の中で、特養において看取り介護対象者の入浴支援に取り組む職員の姿を、『生前湯かん』と書き、『やりすぎ』というニュアンスで論評されている。
しかしTさんのように、残されたわずかな時間の中で、お風呂に入りくつろぐことを最大の楽しみにしていた人がいたという事実は、利用者が望むことで、それが少しでも実現可能であれば、そのことに向けて我々が最大限のエネルギーを注ぎ込むことに意味があることを示しているように思う。
看取り介護期の、『あきらめない介護』の中には、「湯船に浸かって入浴する機会を作ることもあきらめない」ことが含まれているのである。


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