本の執筆作業というのは、それなりに苦労が伴うものだ。

その作業には長い時間を要し、場合によっては数ケ月あるいは1年を超える期間に及ぶ事もある。その間は常に執筆すべき内容が頭から離れず、休みを取っているつもりでも、知らず知らずのうちに何を書こうかと考えていることが多く、頭をなかなか休めることができない。

いざ作業にかかっても、すらすらと文章が思い浮かぶときもあれば、1行の文章を書くのに何時間も費やしてしまうこともある。そうした産みの苦しみが執筆には伴うのである。

執筆作業があらかた終わり推敲も終えた後、出版社に原稿を送ったとしても、不安の種は尽きない。

入稿した原稿が出版社・編集者の意図に沿うものではなくて、書き直しだらけの校正作業になるのではないか、完全に没にされるのではないかなど、ネガティブな考えが頭をよぎる。

そうであるがゆえに、なんとかゲラが挙がってきたときのうれしさはひとしおだが、ここから一次校正・二次校正と作業が続き、世に出して恥ずかしくない本作りのために精根尽き果てる思いで作業を続けていくことになる。

そんなふうに1冊の本が世に出るまでには、作者の地道で長く苦しい作業がそこにはあるわけで、決して簡単なことではないのである。

そうまでしてなぜ執筆活動を続けるかといえば、自分の書いた文章が、1冊の本になって世に出て、それを誰かが手にとって読んでくれるという喜びに優るものはないからである。苦労した分、本が世に出る際には苦労の何倍もの喜びを感じることができる。

本を出すと印税がたくさん入って、さぞお金もちになるのだろうといわれることがあるが、出版不況と呼ばれる現在、流行作家でもない僕ごときの本が売れても、印税など知れたものだ。それはとても生活費になるような額ではなく、印税を期待して苦労して本を書くなんていうことはなく、お金という対価以外に動機付けは存在するのである。

それは本という形で、自分の生きてきた証が残されることではないかと思う。世に名を残したいという意味ではなく、自分の生き様や考えが誰かに伝わる道具として本が存在していくということに、自分の生きてきた証を感ずることができるという意味である。

このブログ記事のように、インターネットを通じて読んでいただく文章と、本になることの違いはなんだろうか。ネット上の記録は流れていくもので、ネット上に残っていたとしても探さないと見つからないが、本・冊子は、残っていくもので、本としてそこに存在している限り、何気なくその本を手に取った人が、探さずに目に触れるものであるということだろうか。

それはただ単に僕の思い込みだけなのかも知れず、そんな違いはないのかもしれないが、少なくとも僕にとっては、書籍として僕の文章が世に出ることは重たい意味がある。その思いは誰がなんと言おうとも、僕にとっての真実だ。

そんな僕の思いのこもった「介護の誇り」という本が今週末に世に出ることになった。僕にとって5冊目となる自著本だ。(共著本を含めると6冊目)
介護の誇り
今まで5冊の自著本とは、出版元が違うということは、僕の本を代に出してよいと考える出版社が、決して1社ではないという意味であり、それもそれなりに意味があるのだろう。

最終校正が終わり、ゲラもすべて出版社に送り返し、出版社の最終チェックも終わり、あとは印刷・製本作業が終わるのを待つだけで、一番わくわくしている時期が今である。

今回は僕の自宅に新刊が届く日に、僕は講演のために不在である。そのため新刊を始めて目にするのは札幌セミナーの講演会場ということになる。実物はどんな感じだろう。札幌セミナー会場では、本の販売とサイン会も予定している。受講者の皆さん、どうぞよろしくお願いします。

なお先月行った仙台での看取り介護セミナーに参加し、本を予約してくださった方々には、札幌会場でサインを書いて、本を発送する予定になっているのでお楽しみに。

あれだけ校正作業を頑張ったのだから、誤字脱字や言い回しがおかしな文章はないだろうな・・・。誰が最初に本を買ってくれるのだろうか。

そんなことを思いつつ、本の出来上がりを想像している。楽しみである。

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