先週土曜日、震災から1年を経た熊本市から悲報が入った。
熊本地震で被災してことにより転居したアパートの一室で、「病気の妻の介護で疲れた」として、74歳の妻の首を絞めて殺した73歳の夫が逮捕された。容疑者は「妻の首を絞めた」と自ら119番し自宅で逮捕されたもので、妻は搬送先の病院で死亡が確認されたそうである。
近所の人などによると、夫婦は2人暮らしで、殺害された妻は7年ほど前から足が悪くなり、地震当時は入院していたが昨秋退院したという。知人女性は「○○さんはいつもご主人に感謝していたのに」とショックを受けていたという報道もされている。
被害者が介護サービスを利用していたかなどの詳しい状況はわかっていない。事件に関連した情報はほとんどない状態といっても過言ではなく、本件に関して何かしらを論評できる状態ではない。
それにしても誰にも相談できずに、こうした悲劇につながった事件は、介護保険制度創設以後も繰り返されている。その原因や理由について、今一度関係者が真剣に考える必要があるのではないだろうか。
介護支援専門員という住民に身近な相談援助職がいて、地域包括支援センターという相談機関が各地域にあるにもかかわらず、こうした悲劇をなくせない原因は何だろう。
自らすすんで相談機関に出向かない人を地域の中で発見したり、相談を勧めたりするためには何が必要だろうか。今何が足りないのだろう。
本件にしても、容疑者となった夫が、それまで連れ添ってきた愛する妻を殺害せねばならないほどの精神状態に陥る前に、どこかに相談しに行けなかった理由は何だろう。このところを明らかにして、悲劇が繰り返されないように対策を講じなければならない。
この国の社会福祉制度には、様々な欠陥があるとは言っても、要介護者を抱える高齢者夫婦世帯に対して、何らかの支援を行って介護負担を軽減させることは十分可能であるし、仮に経済的な問題があったとしても、生活保護制度の仕組みもあり、行政支援をまったく期待できないという状況ではないはずである。
入院先から足の悪い高齢者が帰る場所が、高齢夫婦世帯であるのだから、介護サービスを紹介せずに退院させる状況も想像しにくい。
報道から読み取ると、足の悪い妻が退院したのは、昨年秋ということだから、わずか半年の間に妻の首を絞めるほどの介護疲れが生じたということだ。いったいどのような状態であったのだろうか。熊本地震という災害が影響している部分もあるのかもしれない。
地域包括ケアシステムは、心身のニーズに応じた住み替えを進めるシステムでもあるのだから、夫婦でのアパート暮らしが何より求められるという価値観から離れて、足の悪い妻の居所は、そこで適切であったのかということも考えられて良いだろう。
それもこれも含めての検証作業が必要だ。
地域包括ケアシステムの深化を目指した制度改正が続けられるが、それは地域の中でこのような悲劇を生まないための仕組みであるはずだ。多職種連携とは、入院先から地域に戻った要介護者を、入院先の医療機関から、地域の関係者にうまくつなげ、地域の中で障がいを持った人が安心して暮らすことができる支援体制を作ることであるはずだ。
本件を単なる事件としてとらえるのではなく、地域の介護問題としてとらえる視点がないと、同じような悲劇がこの国のどこかで繰り返されていく恐れがある。そのような悲劇を皆無にできる方法はないのかもしれないが、我々介護問題に関連する関係者があきらめてしまって何も対策をとらないとしたら、高齢化が進む地域社会では、地域包括ケアシステムという言葉と概念だけが存在しても、それは人の暮らしを護るシステムとしては存在しないことになる。
亡くなられた被害者の鎮魂のためにも、我々関係者には今一度、こうした高齢者世帯に手を差し伸べる方法を再考する必要があるのではないか。介護に疲れた人が相談できる場所を広く周知していく努力が求められるのではないだろうか。合掌。
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