2018年度の診療・介護報酬の同時改定に向けて、先週水曜日(3/22)に、第1回目の「医療と介護の連携に関する意見交換」が開催された。

これは中央社会保険医療協議会と社会保障審議会・介護給付費分科会の委員が、医療と介護の連携の視点から意見交換を行う場であるが、先週のテーマは「看取り」と「訪問看護」であった。

このうち看取り介護については、終の住処であるはずの特別養護老人ホームの一部に看取りを行っていない施設がある点に、多くの委員が問題意識を表明した。特養関係者はこのことを重く受け止め、地域包括ケアシステムの中で、特養が求められる居所となるためにも、日常ケアの延長線上に、ごく普通に「看取り介護」が行われるように意識転換をしていくべきだろう。

生活施設であるという意味は、終生施設であることが必然の結果であることを理解すべきである。

このことに関連して厚労省は、医師法第20条がネックになって看取り介護が行われていないケースがあることを紹介している。

つまり利用者の死亡時に医師の立ち会いがない場合も、死亡後に改めて診察し、生前に診ていた疾患に関連した死と判定できる場合は、死亡診断書を作成できるにもかかわらず、医師法第20条を誤解し、診察から24時間を超過しての死亡は、異状死として警察への届出が必要があって、担当医が死亡診断書を作成できないと考え、看取り介護に二の足を踏んでいる施設があるという意味だ。

このことに関連しては、「看取り介護講演で考えたこと」の中でも、図とともに考え方を示しているが、嘱託医師として利用者の健康管理をしている場合は、死亡から24時間過ぎたとしても、日常の診療と関係のある死亡原因と考えられるなら、死亡診断書は発行できるので、何のネックにもならないものである。

また事前に看取りに関する患者本人や家族の意思(リビングウィル)を確認することの難しさも指摘され、このことが看取り介護実施のネックの一つであるかのような意見も出された。

しかしリビングウイルの確認の重要性を理解しているか、リビングウイルについて話し合う気があるかという問題でしかなく、僕は難しいこととは思わない。勿論、特養の場合は入所時点で、」リビングウイルについて理解できず、その表明もできない利用者が決して少なくはないが、だからといってこの問題の重要性を家族に告げて、信頼関係を構築した後に話し合い、家族が利用者を代弁したリビングウイル宣言をすることは決して難しくないし、リビングウイルについて理解可能な利用者ならば、しかるべく信頼関係を構築した後に、利用者本人と、「死と生き方」について話し合う機会を持ち、リビングウイルの宣言をしていただくことも決して難しいことではないはずだ。(参照:リビングウイルに関連したブログ記事

そして特養には、その宣言を支援する専門職として、相談員や介護支援専門員といったソーシャルワーカーがいるのだから、彼らの役割りとしてリビングウイルの確認を位置づけることが一番求められることである。

委員の中には、75歳を迎えて後期高齢者医療制度の保険証を交付するタイミングでリビングウィルの書面で提出を求めるなど、制度化することを提案した人もいるが、こうした宣言は、義務として制度ルール野中で機械的に行っても血の通った決定にならず、宣言者の本意から外れてしまうことが多い。

そうではなく、宣言の必要性を丁寧に説明し、宣言に至る過程を支援し、場合によっては制限に伴うストレスなどを含め、精神的にフォローする支えとなる人が必要で、そうした専門職がフォローすることで、より自分の求める形に近い宣言ができるのだということを忘れないでほしい。

そういう意味でも、特養のソーシャルワーカーには、リビングウイルの宣言を支援するスキルを身につけてほしいものである。
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