介護保険給付対象となっている公費サービスに加えて、公費がカバーしていない部分の自費サービスをプラスしてサービス利用する形態が、「混合介護」と称されている。

例えば介護保険の訪問介護を、身体介護や生活援助(家事援助)として使いながら、保険給付の対象となっていない趣味活動への参加や、大掃除などの特別な家事を上乗せして利用するような形態が考えられる。さらに要介護者の保険サービスと、要介護者ではない人の保険外サービスを同時一体的に提供する形態も、混合介護として考えられる。

現在認められていない混合介護を、来年4月以降に認めるかどうかを判断する議論が行われているが、同時に東京都豊島区で、このモデル事業が実施されることになっている。その経過や結果に注目しなければならないが、果たして保険給付サービスと組み合わせて実施される、「保険外サービス」は、どこまで範囲が広げられるのだろう。

そもそも保険外サービスを、ある一定のくくりの中に入れてしまうことは可能なのだろうか。それが難しい場合には、保険外で求められるサービスは、際限なく広がることにならないのだろうか。

要介護者の身体介護を行う傍ら、趣味の盆栽の鉢の水遣りや、ペットの世話などが保険外で行うことを求められないだろうか。そこにどれだけの制限ができるのだろう。

ここで一つ、僕が懸念することがある。

混合介護が実施される中心となるサービスは、訪問介護だろうと思われる。

現在、訪問介護員は、介護保険法で定められた基準等の中で、一定の資格を持ってサービス提供ができることになっており、無資格者が行うことのできる保険外サービスではない部分を担うという責任が与えられている。

そうであるがゆえに、訪問介護員の担う業務は、介護の専門家としての業務であり、家政婦の仕事とは一線を画しているとして、その矜持を支えにして仕事を続けている人も多いはずである。

混合介護の解禁は、一面訪問介護員と家政婦の垣根をなくすことに他ならないから、訪問介護員が仕事を続ける動機付けともなっている、この矜持を奪う結果にならないのだろうか。

訪問介護員自身は、その矜持を保とうと努力したとしても、周囲から家政婦化が求められ、お金を支払うことのできる利用者の要求であれば何でもありの状態が生じたり、会社からそのことを求められたときに、まるで利用者の召使いであるかのような状態で、仕事をせざるを得ない訪問介護員が存在することにならないだろうか?

混合介護が求められる一つの理由とは、保険給付サービスと同時一体的に保険外サービスを提供することによって、事業者収入を増やして、収益が上がった部分を従業者に還元することで、結果的に職員の待遇改善が可能になることを視野に入れたものである。

しかしその背景としては、保険給付自体は現在より単価を上げることはできず、むしろ社会保障費の自然増部分を半減するという政策の中で、介護給付費用も抑制する中で、保険サービスだけに頼る事業者は、収益が下がることが必然であり、その中で事業経営を継続する手段として、保険給付以外の収益を与えるという政策にほかならない。

つまり国として財源抑制のために、保険給付費用は下げざるを得ないが、介護サービス事業者はそのことによってなくなっては困るという意味である。制度あってサービスなしという状態を作らないために、国民の自己負担サービスによって、事業者の収益を確保させようとする政策の一つが、混合介護である。

だから混合介護が実現したとして、そこで訪問介護員は、保険給付サービスと保険外サービスを同時一体的に提供するに際して、業務量は大幅に増えるが、保険給付サービスの単価は下がった中で、保険外サービスの費用が収益として計上されるに過ぎず、そのことで待遇改善がされるのか、されるとしたら給与にしてどれだけの額になるのかは極めて不透明である。

そうした不安定な状況下で、訪問介護のプロとしての使命感や、介護の専門家としての誇りが奪われかねないとしたら、この仕事に就こうとする人は今後いなくなる可能性はないのだろうか?現在訪問介護員として働いている人は、その仕事を続けられるのだろうか?それは極めて怪しい。

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