先週の金曜日に行った新潟県での講演の写真画像が、新潟県老施協事務局から送られてきた。
毎年全国各地で40件〜50件程度の講演を行っている僕ではあるが、自分が講演している画像はあまり持ち合わせていない。基本的に講演の録音はお断りしているが、写真撮影はシャッター音が消音されて、周囲の人に迷惑をかけなければ禁止していないので、もしかしたら受講された方が撮影されている画像はあるのかもしれないが、それを送ってもらう機械は少ないので、こういう画像はありがたい。

この講演のテーマは、主催者の希望により「平成30年トリプル改正が迫る中、介護に係るすべての人々の使命と役割は何か」であった。参加される方は、特養や通所介護、グループホーム、居宅介護支援事業所など多岐にわたっているが、相談援助職や介護職、看護職が多かったので、介護現場での実践論を中心にお話した。

しかし介護保険制度や医療制度全般の改革の流れを知ることも重要なので、講演時間の最初の20分程度は、「期中改正の動向」や「30年以降の改正議論の方向性」についてお話させていただいた。上の二つの画像が、その様子である。
今回の講演時間は、150分とたっぷり時間をとっていただいたので、前半にそのことを話しても、実務論としてのケース紹介などの時間も十分とれるはずだったが、内容をぎゅっと詰め込みすぎたせいで、用意した講演スライドの一部内容に触れることができず時間切れ終了となってしまって申し訳なかった。
今回触れられなかったことについては、ぜひ別な機会をいただいて、次回にお話したいと思う。
実務論の中で紹介したスライドの1枚は、何年か前にNHKの介護百人一首というコンテストの入選作である。京都府在住の80歳代の女性が詠んだ歌である。自分の顔さえ忘れてしまった夫が、入所した特養で、いつも笑顔で暮らしている様子を見て、心からほっとしている気持ちを詠んだ歌だと思う。

誰しも自分の家が一番くつろぐことができる場所であり、年をとって体が不自由になったとしても、自ら進んで特養に入所したいという人はいない。
そういう人を説得して、夫や妻や親を特養に入所させる家族にしても、止むに止まれぬ事情があって、「仕方なく」入所させているのかもしれない。
そんな家族が、心配して特養に面会に来たとき、夫や妻や親が哀しげな表情で嘆く姿しか見つけられないとしたら、それらの人々の家族にとってもつらいことだろう。哀しいことだろう。後悔するだろう。
僕たちは特養に入所したくない利用者や、自宅では面倒を見ることができないという理由で家族を入所させ、心配な気持ちでいっぱいになっている人々の気持ちを否定するのではなく、その思いを受け止めて、そうした否定的な感情をどのように解消することができるのかを考える必要がある。
それはことさら介護施設が家庭に替わる一番の場所だと喧伝するのではなく、家族より僕たちの介護が優れているとアピールするのでもなく、ただただ真摯に、目の前に居られる利用者が幸福感を持って暮らすことができる日常を追求するだけである。
僕たちは家族や家庭と勝負してはならない。僕たちが勝ち負けを争うべきは、昨日までの自分のみであって、他人との争いごとの結果として、何かを手に入れる必要はないのだ。
利用者の表情に笑顔が浮かぶ方法論を考え続けた際にしかつかめないものがあることを忘れてはならない。
そして利用者の笑顔担ってくれたときには、その笑顔はそこだけにとどまらず、家族の笑顔にもつながっていくものだ。それは何にも替え難いものである。まさに介護とは、幸福の笑顔の樹形図を描くことができる仕事なのである。
そのことに誇りを持ち、そのことを目指して、昨日までの自分と競争し続けることが大事だ。
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