認知症の診断に利用される、長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)やミニメンタルステート検査(MMSE)では、検査当日の年月日と曜日を問う項目がある。

具体的には、「今年は何年ですか」と問いかけ、元号も含めて何年か正しく答えられる場合に1点、そうでない場合に0点となる。「今日は何月何日ですか」という質問と、「今日は何曜日ですか」という質問も同じように判定される。

ところでこの項目について、或るサイトでは次のような批判をしている。

この質問に正しく回答することができた高齢者は、自分の認知能力が疑われていることがわかるので、不快な思いをします。逆に、この質問に正しく答えられなかった場合、高齢者は、自信を失ってしまうのです。これは、介護本来の目的とは真逆の結果です。

その上で対策として次のようなことが書かれている

べテランがこの質問をするときは(なるべく)相手に直接的には質問しないそうです。たとえば、自分のほうが今日について忘れてしまったふりをします。「あれ?今日って、何月だったっけ?あれ?あれ?」といった状態を高齢者に見せます。その上で「何月でしたっけ?私、すっかり忘れちゃって・・・」といった質問のしかたをします。

はあっ・・・。この内容を読んでなるほどと思う人がいるのだろうか。この検査を行う立場の人は、ここで書かれているベテランの対応が優れていると思うのだろうか。

僕は全くそう思わないし、被検者をずいぶん馬鹿にした対応にしか感じられない。

検査に携わる者は被検者に対して、常に真摯に接する必要があると思っている。そうであれば検査の意味やその内容をきちんと説明する責任があり、認知症スケールであってもそれは同様で、質問内容の中に認知症かどうかを判断するために、人によっては失礼と感じる設問・問いかけがあるかもしれない場合は、そうした質問が含まれていると断った上で、その意味や必要性を十分説明し検査に当たれば、認知症ではない人が、その質問によって不快になることはない。

認知症が疑われる人がその質問に答えられなかった場合にも備えて、今できることとできないことを明らかにすることで、治療効果が挙がることを伝えれば、自信喪失でデメリットのほうが大きくなるということにもならない。そもそも後者の自信喪失に関して言えば、どのような質問の仕方をしたとしても、答えられないという結果が同じなら、質問の仕方でその結果に対する被検者の気持ちが大きく替わることはないだろう。気持ちに変化が出るのは、質問の仕方より、説明のしかたによるのだということがなぜ理解できないのだろう。

直接的には質問しないことによって、検査で問いたい意味が十分に伝わらない恐れがあることも問題だが、それより質問内容を直接的に伝えないということは、その意味するところも直接的に伝えていないということである。

この考え方はずいぶん上から目線である。被検者が検査の正しい意味や内容を理解できず、誤解するという思い込みにしか過ぎない。そうしないようにする為に行うべきことは、質問内容を間接的表現に変えて、検査質問と分からないようにすることではなく、きちんとした説明責任を果たし、検査担当者と被検者の間に信頼関係を構築することである。

検査するものが直接的な質問をしないように、日常会話と変わりない会話の中で答えを引き出そうとする場面に遭遇したとしたら、僕であれば、「検査なんだから雑談なんかしてないで、まじめに速やかに検査が終わるようにしろよ」と怒るだろう。検査の目的からしても、それは適切な方法とはいえないだろう。

そもそも検査担当者に、高度なテクニックが求められる検査法ほど、結果に信用が置けないという理屈が理解できないのはなぜなんだろうか。

そうであるがゆえに、HDS-Rにしても、MMSEにしても、あの質問項目は、検査する人によって結果に相違が出ないように、最低限の簡略な表現で回答を求めているものだ。質問者のテクニックによって答えが左右されかねない表現の間接化は、百害あって一利なしである。

質問をぼかして、ごまかしの誘導で被検者の回答を引き出すことが、いかに被検者に対して失礼であり、それは検査する者の傲慢さを現わすものでしかないことを思い知るべきである。
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