先週の金曜日にも書いたが、地域包括ケアを推進する原資として各都道府県に設けてある基金の使途は、大きく分けて「施設等整備」と「人材確保」の2つがあるが、昨年度の予算(補正を含め2,285億円)でみると、「施設等整備」に全体の9割を占める2,041億円が充当されている一方で、「人材確保」は244億円にとどまっている現状があり、この比率を逆転させるような発想の大転換がないと、介護人材は枯渇してしまい、多くの事業者が事業継続が不可能になるか、事業規模を縮小しなければならないほどの危機的状況に陥る。
新三本の矢と呼ばれる政策でも、介護離職をなくすために介護施設等を建てるための補助金を大盤振る舞いしている。
国はなぜ都道府県の基金の偏った使い方を是正しようとしないのか。そして国自体が施設建設を促進するのみで、介護人材の確保と育成対策は、ツゥーリトル・ツゥーレイトの施策しか打たないのはなぜか。
それはとりもなおさず、現政権が介護にはほとんど興味がないからに他ならない。
介護政策として打ち出されるものも、ほとんど経済政策がらみである。もともと処遇改善加算の前身であった処遇改善交付金も、経済対策として設けられたもので、それを加算に付け替えて、本体の介護報酬をカットするなどというのは暴挙そのものなのであるが、それに対して抵抗できない介護業界の力が足りないと言われればその通りであり、その歴史が繰り返されると、次期改正も悲惨な結果に終わらざるを得ない。
基金が施設整備費に偏って使われている理由も、それが介護施策であるという以前に、建築費に基金を回すことで経済効果が生まれるという理由が大きい。勿論、建築する事業者に入る収益も大きな額なのだから、場合によってはここに利権が生まれる可能性だってある。
しかし人材確保のために、介護人材を確保するための思い切った待遇改善に基金を使ったところで、対象となる個人の懐具合が温まっても、市場経済に回る額はたかが知れているとして、社会全体の利益を考えれば、施設整備費に資金を回すことが正論化されるのであろう。場合によっては、それは介護問題と経済の両方にメリットがあると考えられているのかもしれない。
しかしそれは大きな間違いである。政治家がそんなふうに考えているとしたら、政治眼がないに等しい。
そういう付け焼刃の対策ではもう同市模様もないほど、介護サービスの場の人材枯渇は深刻なのである。
そもそも社会保障は、社会のお荷物ではなく、国民の命と暮らしを護るものであり、それは本来、政治や市場経済を含めた国家体制を下支えする国家の基盤であるはずだ。市場経済を支えるセーフティネットの機能が、社会保障政策には存在するという考え方も必要であり、財政論で簡単にカットすべき問題ではなく、外交や防衛に使う財源とは別に、国家の責任で手当てすべきものである。そこには国家社会の財の再分配機能があることを忘れてはならないのである。
長期的な視点に立てば、介護人材の枯渇問題は永遠の課題ではなく、せいぜいあと二十数年の問題だ。この国の高齢者介護問題は、団塊の世代が全て後期高齢者となる2025年から2040年くらいまでが正念場であり、それ以降は要介護高齢者の数も急激に減っていくため、介護サービス事業者の数も余ってくる。その数年前から、地域によっては介護サービスの事業者の数余り現象が目立ってくるはずだ。
つまり、介護人材問題は黙っていても自然消滅する問題ではあるのだが、黙っている間にも、この国には深刻な介護問題を背負う人々が息をし続けるのである。その息の根を止めないような早急なる対策が求められており、目先の景気対策とは別次元の政策が求められるのである。
国民の命と暮らしを護らない政治など、存在しないと同じだということを、声を大にして言いたい。
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声を出しても、庶民の声は聞こえない人達を相手に、どうしたらいいのでしょうか。