道外の人間にとって、東京の23区名は馴染みがあるものの、市の名称はよくわからないことが多い。
だから最初、『ひのし』という地名を聴いても、どこの市の名前なのか、どんな字を書くのかもさっぱりわからなかった。大変失礼な話でお詫びのしようもないが、これが一般的な道民の反応ではないだろうか。
その日野市からの依頼を受けて、今日は日野市民会館で、『愛を積む〜認知症の人とともに歩む介護 』というテーマで講演を行う予定になっており、このブログ記事は、会場に向かう電車の中で、iPad で書いている。
おそらく日本全国の介護関係者の中で、認知症の理解とか、認知症の人に対するケアに関連してお話しすることができる人は沢山おられることだろう。ましてや首都・東京であるのだから、近くで講師を探すのは、そう難しくないはずである。
そうであるにも関わらず遠く北海道から、決して安くない旅費をかけて呼ぶ必要のある僕を招いてくださるのだから光栄なことである。同時に、それだけの価値あるお話をしなければならないと思ったりする。
だからと言って、特別なお話ができるわけではない。認知症に関しては二十数年前に、自分の施設での実践報告を北海道老施協の研究大会で行って以来、いろいろなところでお話ししているし、介護福祉士養成校では、認知症の理解という授業を受け持っているが、それらのお話の教科書は、僕が出会った認知症の人と、その周囲の人々である。
だから僕が認知症をテーマにしてお話しすることは、他の誰とも違った話になってしまうし、時間の経過とともに同じテーマでも、取り上げる事例は異なることになる。でももしかしたら、そのことが僕が講師として全国各地から招待される理由かもしれない。
今日も昨日までの実践の中で手に入れた方法論を語ることになるだろう。
認知症の人を理解する上で大事なことは、記憶や見当識が失われても、感情は最後まで残っていることを忘れないことだと思う。寸前のことさえ忘れてしまい、デジタルな思考回路しか残っておらず、さっきと今が繋がらない人の不安を理解して、その人の脅威にならず、支えになるために何が求められているのかを、一人ひとりの表情から読み取ろうと寄り添うことからしか答えは探せない。
今日の講演タイトル『愛を積む〜認知症の人とともに歩む介護 』は、僕の著書、『人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために』の一節と同じものだ。そこで紹介している一ケースの、認知症の人の夫が、僕らの最高の教師役である。そんな話もしてこようと思っている。
ところで、普段僕が講演している姿は、自身で撮影できないので、自分の手元にその姿を写した画像データは意外となかったりする。
そんな中、3日前に五反田で行った、学研ココファンさんの社内研修での画像ファイルを送っていただいたので、この記事の中に記録として貼り付けておきたいと思う。
学研ココファンの皆さん、どうもありがとうございました。









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