近未来社会では、介護ロボットが人に替わって、すべての介護を行うことができるようになるのだろうか。

人工知能を持ったロボットが、人の動きを見ながら、ロボット自身が考えて、臨機応変の対応を行うようになるのだろうか。

そうだとしたら、それはそれで良いことなのだろうと思う。

感情の無いロボットに、介護されるのはどうなのかという意見もあるのだろうが、人間には感情があるからこそ、喜怒哀楽の感情に寄り添うことができる反面、負の感情をそのまま利用者に向けて、不幸を作り出すケースも決して少なくはない。

プロ意識の無い介護者の、顔色を伺いながら介護を受けなければならないのであれば、感情の無い無機質なロボットに、自分の身体を委ねたほうが良い場合も多いだろう。

ロボット相手なら、人に見られて恥ずかしい部分であっても、恥を感ずる必要も無くなる。同姓介護などという配慮も必要なくなる。

知識や技術教育も必要なく、プログラミングだけで、人の行為のすべてを支援できるロボットがあるとすれば、こんな楽なことは無い。人手不足も補える。少子化も高齢社会も、どんな社会情勢とも無関係で、介護支援量は確保できるのだから、実用できるものなら、そこにどんなにお金をかけても無駄にはならないだろう。

そして人と同じことができる介護ロボットと、介護の専門職である人間が、選択肢として競合するなんてことが実現できたら、それだけで介護サービスの質は飛躍的に向上するのかもしれない。

だから人に替わることができるロボットができるというなら、早くその完成を急いでほしい。テクノロジーを最大限まで磨いて、介護の現場で実用化してほしい。

こんなものに何十年もかけていては意味が無いぞ。もうすぐ高齢化のピークは過ぎるのだ。介護の人手が足りない時期に、高齢期を迎える僕たちを支えてくれるロボットを実用化しないと、今の若者が高齢者になって、介護支援が必要になるときは、人手は余っているかもしれないのだから。

でも今の僕たちには、人に替わることができる介護ロボットを想像することは難しい。それは自動運転の車を作ることより、はるかに困難なことだろう。

だって人間は、必ずハンドルを切った方向に、向きが変わるわけではない。ハンドルを切れないときもある。ハンドルに手が届かないことすらある。

車ならば、燃料が切れれば止るだけだが、介護ロボットの燃料が切れたら、死んじゃう人がいるかもしれないぞ。入浴支援の途中で燃料が切れて、浴槽の中でのぼせて死んじゃう人がいるかもしれないぞ。移乗途中で燃料が切れたら、落下して死んじゃう人がいるかもしれないぞ。

部品の故障・欠損によってどんな動きが起こるか想像もつかないぞ。

つい先日、大阪・吹田市の有料老人ホームで、68歳の入居者の女性がつけていた人工呼吸器が停止し、女性が死亡していたそうだ。スイッチが入れられていなかったそうだが、スイッチが必要な機械であるからこそ、そういう悲惨な事故が起こる。

スイッチが必要な介護ロボットが、人間の替わりになったときに、いったいどのようなことが起こるのだろうか。それはたぶん僕らの想像を超えたものだろう。

そんな未来を考えてもしょうがないから、僕は目に見えない「愛情」が誰かに伝わることを信じて、それが人にとって大切だということを信じて、非科学的なものを文字にして伝える日々を続けている。

このブログには、そういう意味もある。

少なくとも介護に愛情を添えられるのは人だけなのだから。
愛と科学的根拠

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。