あるサイトに掲載されているシルバー層を対象にした調査で、ショッキングというか、少し残念な調査結果がある。

博報堂(生活総合研究所)という機関が、1986年からシルバー層に対する調査を行っている結果が、こちらのサイトに掲載されている。

それによると、生活の見通しについては、「暗いと思う」という回答が1986年の32%から2016年は47%と大きく上昇している。そのことを反映してか、「現在欲しいもの」という質問に対して、「お金」という回答は、1986年の28%から2016年は41%までアップ。逆に、「幸せ」は1986年の31%から2016年は16%までダウンしているというのだ。

ほしいものは、幸せではなくお金という高齢者が多いのである。

それは、老後の生活不安が如実に現れた結果といえそうであるが、その不安の主たる要素が、経済的な不安=お金がないということだ。それは同調査で、1月の小遣いの額が徐々に下がっていることでもわかる。

高齢者が老後に経済的な不安を抱える要因は様々であるが、この問題の根の深さは、シルバー層の人々が、現役世代の負の遺産を引きずって経済的に困窮するケースばかりではなく、いわゆる中流階級と呼ばれていた人々であっても、高齢期に貧困に陥るというケースが、数多く含まれている点である。

定年等でリタイヤした後に、年金生活となった際に、年金だけでは暮らすことができず、預貯金を崩して生活し、それが尽きたときにどこからも救いの手が差し伸べられる見込みがないことに不安を持つ高齢者が増えているということだ。

そうであれば、現役世代で収入が低く、満足な預貯金もないまま高齢期に入った人々は、その負の遺産を引きずったまま、社会の底辺で息を潜めて命をつなぐしかないのか・・・。

本来の社会保障とは、市場経済主義の中で不公平に分配されざるを得なかった社会の、「財」を再分配して、弱肉強食の競争社会で敗れた人にも、人としてふさわしい生活を保障するというものだ。国家や政府というものは、国民すべてに、そうした文化的な生活を保障するために存在すると言ってもよい。

しかしこのような調査結果が示される意味は、そうした財の再分配機能が不全の状態に陥っておることを現すもので、ここにしっかり手当てすることが求められているのではないのだろうか。

しかし国は、ますます国民に対し自己責任を強く求め、社会保障はより狭く、低い給付という方向に組み立てなおそうとしている。介護保険制度も、給付の効率化・適正化の名の下に、軽介護者への給付を切り捨て、ますます使いづらい制度へと変わろうとしている。

経済的弱者の支援策も、低所得者への補助をアリバイ作りのように、わずかに実施するのみで、そこからもれた人は、制度の光の届かない場所で、誰からも手を差し伸べられることなく野垂れ死にしていくしかない。・・・我が国の現状とは、こうした一面を影として持ち続けている状態と言えるのではないだろうか。

それは弱者を切り捨てるだけではなく、この国で暮らす民の心を蝕み、心を貧しくする方向であるといえるのではないだろうか。

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