介護福祉士養成校で学ぶ学生の、最初の壁が介護施設等における「実習」である。

その壁の意味が、介護のプロの知識と技術に触れて、自分がそのようになれるのかというポジティブな高い壁なら良いのだが、現実には、「介護ってこんなことも許されるの?」というように、介護の常識が世間の非常識、という現実を目のあたりにして、そのことを指摘すると、「理想と現実は違う」、「もっと現実に目を向けて仕事を覚えないと、介護職なんてやってられないよ。」というふうに、高い志を押しつぶす、恥ずべき壁が存在している。

その壁に押しつぶされて、志を失ってしまう学生や、介護という職業に誇りを感じられなくなってバーンアウトしてしまう学生が、毎年何人か出てくる。

人材難の折、人の役にたつ職業について、見知らぬ誰かを幸福にしたいと志を抱いている人たちが、そういう形で介護の職業を目指すことうをやめてしまうのは、大いなる損失である。

もちろん実習先がすべてそのような事業者ではないことは言うまでもないが、学生の理想をつぶすことが目的のような指導を行っている実習先が少なからず存在している。恥を知れ。

恥ずべき壁としてそそり立つ彼らの言う「現実」とは、自分たちのスキルを基準に考えている現実でしかなく、それが介護の標準ではないことに気がついていないと言いたい。

ある施設では週2回の入浴介助が、「最高基準」となっている。その施設では、利用者を週2回ずつ入浴させていれば問題なく、そこから一歩も前に進んだケアなど考えられない。それはその施設の現実であるとしても、そんな現実は人の暮らしとしては、きわめて質が低いものであり、そんなものが介護サービスのスタンダードであってはかなわない。

まともな介護施設ならば、法令上定められた、「一週間に二回以上、適切な方法により、入所者を入浴させ、又は清しきしなければならない。」という基準省令の規定を、あくまで「最低基準」と考えて、どのようなり理由があろうとも、少なくとも週に2回は入浴機会があるのが介護施設のサービス原則であり、しかしそれでは護ることのできないものがあるのは当然で、人としてふさわしい暮らしを護るために、創意と工夫を凝らして、それ以上のサービスを実現するのが使命であると考えるのが、介護のプロとして関わるものの普通の感覚である。

そこから毎日入浴できる支援方法や、夜間入浴支援が普通にできる方法論が生まれてくる。

そしてそうした方法論の積み重ねが、介護という職業の面白みと、誇りを生み出して、職員の就業意欲を高め、離職率を減らして、人材が確保され、さらなるいサービスの品質アップに繋がっていくのである。

介護サービスの事業管理者は、そのことをもっとも理解して、職員のスキルアップとサービスの品質向上は、事業経営とリンクするものであると考えなければならない。

そもそも自分が週2回しか入浴できないとしたら、そうした環境に積極的に身をおきたいと考える人が何人いるだろう。毎日入浴しないと落ち着かない人自身が、週にたった2回しか入浴行きかいのない暮らしをなんとも思わないのは、単なる感覚麻痺なのか、人間愛の欠如なのか、僕にはどうも分からない。

法令は護るべきものではあるが、法令さえ護っておれば人は幸せになれるわけではない。

人の暮らしに関わり、人の暮らしに潤いを与え、幸福を運ぶべき職業である介護サービスは、人が何を求めているかということを考えることを止めたとき、人の苦悩に気づかなくなる可能性が高い。そうなったときの姿は、驕慢で醜い姿でしかないだろう。そうなりたい人はいるのだろうか。

どちらにしても、最低保障の法規定に縛られて、人が工夫をしなくなるのは退化でしかない。退化した人によって創られるサービスを甘受しなければならない人は、人としての矜持さえ失いかねない。そんな職業に誇りを持てというのは無理だ。

そういう職業には決してしないように、理想をつぶす壁をなくすために何が出きるのかを考え続けたいと思う。

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