現在の職場がある千歳市は、人口94.820人(本年4月現在)、高齢化率は20.6%である。

僕の居所である登別市が、人口約5万人で高齢化が30%に迫っているのと比べて、千歳市の高齢化率は低い率だし、日本全体でもこの数字は高くはない部類に入るであろう。

しかも施設のある地域は新興住宅街で、働き盛りの若い人が多く住んでおり、必然的に児童・生徒数も多くなっている。近くの小学校は1学年6クラス以上の規模である。そのため当該地区に限った高齢化率は12%程度であるという話しを聞いたことがある。

そんな環境だから、周囲には子供の声が満ちており、下校途中の児童・生徒の元気な姿を窓越しに眺めておられる利用者の方の姿を目にすることがある。

そんな利用者のお一人が、正面玄関越しに外を眺めておられた。車椅子を自走できる要介護4の方であったが、天気がよい日だったので、「外の空気を吸ったらおいしいですよ。出てみませんか」と話しかけた。

するとその方の返答は、「外に出たいけれど、戻ろうとしても車椅子が進まなくなるので出ることが出来ない」というものであった。

ここは老健施設だから、玄関も段差のないバリアフリーになっている。ところがそこにはわずかばかりの傾斜があり、それは健常者には感じ取れないほどの傾きであるが、利き腕の麻痺があり、力の弱いその方にとっては、外に出るという何気ない行為を阻害するバリアとなっているらしい。

そこで僕は、外に出るお手伝いをしたついでに、周囲を一回りしてきた。すると丁度、小学制定学年の下校途中で、たくさんの児童が歩いているところだった。そしてすれ違うたくさんの児童が、車椅子を押してもらっている利用者さんに、「こんにちは」と元気に声をかけてくれた。

わずか15分ほどの散歩であったが、きれいな空気の中で、花を眺め、児童の声を聞いて、すっかり気分転換が出来たようだ。そのことをとても気に入ってくれたのか、その方は時々カウンター越しに事務室の様子を見て、僕に声をかけてくれるようになった。手が空いているときは、そのたびに外の散歩のお手伝いをしている。それは今でも続いている。

しかし僕が散歩にお付き合いできるのは、散歩に連れて行ってほしいと望まれる方が、今のところその方しかいないからである。もしも何人もの利用者さんに同じことを求められたとしたら、1回で対応しきれないだろうし、場合によっては誰かを要求を」お断りしなければならないことも予測できる。

だからといって今出来ることをしないという手はない。みんなに要求されたらどうするという、起こってもいないことを考えて、何もしないのがベストという決め込みは僕には出来ない。

同時に、特定の人だけにそういうお手伝いをすることを、他の人との差別だとか、不平等だとも思わない。

必要な人に、出来ることをしているだけで、数が増えたらそのときに考えればよいのだ。

そもそも平等とは機会均等とイコールではない。この視点こそが個別アセスメントの基本ではないか。平等という名の下に、何もしない風潮を作ることほど始末が悪いものはない。それは必要なサービスを、事業者都合で切り捨てる結果にしかならず、サービスの質は停滞・退行の道を辿らざるを得ない。

そうした姿勢にだけはならないように気をつけたいと思う。それは僕の目指す介護サービスとは、対極に位置するものだからである。

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