高齢者介護施設には、様々な哀しみや苦しみが存在する。その場所に、たくさんの笑顔が生まれるように、僕たちがいくら努力を続けてようも、いくつかの哀しみや苦しみが存在するということは、まぎれもない事実である。

僕たちがその場所で、どんなに豊かな暮らしを創ろうと努力したとしても、介護施設の中の哀しみや苦しみが全て消え去ることはないのかもしれない。なぜならば、感情を持つ人間が、いつも楽しい感情だけをもって過ごすことはありえないからだ。

僕たちが日常的に、哀しい思いや、苦しい思いを持つのと同様に、どんなに僕たちが努力しようと、介護施設の中でうごめく様々な感情の中には、僕たちに推し量ることができないつらい思いもあるのだろう。

そういう事実から目を背けてはいけない。その現実を見て見ぬふりをして、自らの職場である介護施設の中には、喜びの感情だけが存在するかのように捉えてしまっては、そこは幻想空間でしかなくなり、誰か第三者の感情に鈍感となり、見えない涙を見逃してしまうだろう。

昼間、僕が話しかけると一瞬おびえるような表情をした後に、はにかんだような笑顔を見せてくれる○○さんは、失語症で言葉を発することができない。脳血管障害の後遺症で、右片麻痺があって利き腕が動かせない状態だ。それでも決して日中、つらそうな表情を僕たちに見せることはなく、笑顔で応じてくださる方だ。

そんな○○さんが、夕方人の居なくなった暗い談話コーナーで、一人机に向かっていた。帰りが遅くなった僕が、その姿をみかけて、ご挨拶の声をかけようとしたとき、彼女が机に突っ伏すように、声なき状態で泣いているのがわかった。

何か大きなトラブルがあったとは聞いていないし、周囲の様子にも異常な状態は見られない。それなのに、しずしずと流れる涙の中に沈んでいる○○さんがそこにいた。

その時僕は、声を変えようとしたが、思い直してしばらくそっと見つめることにした。

人知れず涙を流す人がいたときに、声をかけるだけがやさしさではなく、そっと見守り、泣きたいだけ泣かせてあげるほうがよいかもしれないと思い直したからだ。

人に見られたくない涙もあるかもしれないと思い直したからだ。

やがてひとしきり泣いたあと、○○さんは車椅子を操作して、お部屋の方向に向かっていった。

思わぬ病気に見舞われ、その後遺症で利き腕のある半身が麻痺し、言葉も出なくなって、思いさえ十分伝えられないというもどかしさ。そうした状態で、不自由な生活を送る身になった不幸・・・。そうした様々な思いが、○○さんの頭の中を駆け巡って、日が沈んだ後の寂しさとあいまって、一人涙を流していたのではないだどうか。

そんなときには、どんな言葉もわずらわしいだけで、癒しにはならないだろう。ひとしきり泣き続ける時間があることのほうが、心の痛みを和らげてくれるのではないだろうか。

僕たちはただ、その人たちの深い悲しみや、人知れない哀しみを知ることで、いつかその傷が癒される日が来ることを祈るのみである。そういう日がいつか訪れるためには何が必要かを考えて、今いる場所でできることを探し続けるのみである。

人知れず涙を流す人たちが、僕たちに笑顔で応じてくれることに思いを馳せ、その笑顔に応えられる暮らしを作ろうと努力し続けることだけしか、僕たちにはできない。

そんな時、心に深い哀しみを抱えている人生の先輩に向かって、タメ口で話しかけることなど僕にはできない。深い心の傷を、僕たちの何気ない言葉でえぐらないように、真摯に丁寧に語りかけることしか僕にはできない。

笑顔の向こう側にある、見えない涙を見逃さないように、丁寧に暖かく語り掛けることしか僕にはできない。

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