新しい職場では毎日いろいろなことを覚えていく必要があるが、如何せん年をとると記憶力は弱くなる。
そういう意味では、現在は自分の記憶力の衰えを思い知らせれる日々を過ごしているともいえるわけである。ただそれは僕に限ったことではないだろう。
人は年を取るごとに忘れてしまうことが多くなるだろうし、人生全般を見つめれば、覚えていることの何倍も忘れていることのほうが多いのだろうと思う。もともと人間とは、実に多くのものを忘れてしまう生き物だということだ。
しかしたくさんの忘れ物の間隙を縫うように、人はいくつもの思い出を創り出し、その記憶を抱えて生きている。それは時に、人の支えにもなるものだ。
それはきっとその人にとって、何にも替えがたい宝物だと思う。さまざまなエピソードを刻みながら生きる証を感じていくということにおいて、思い出=記憶は命の「歩み」そのものである。
しかしその記憶を保持できない人々がいる。認知症という症状は、病気や怪我などさまざまな要因で発症するが、多くの場合きおくが保持できない状態となる。さかのぼって過去の記憶も失われていくことが多い。
それは生きる証を見つけられなくなるという意味であり、存在していたはずの生きる証を失っていくという意味である。
そうなると人は、心を失ってしまうかもしれない。怖いことだろう、つらいことだろう、苦しいことだろう、哀しいことだろう。
そんな人々が僕たちの目の前にいる。僕たちはその人たちにどのようにして心の平安をあたえることができるのだろうか。どのように安心してもらえるのだろうか。介護とは、エピソードを失っていく人に対して、できることを探す支援行為でもある。その為に僕たちにはなにができるだろうか。
認知症のケアだとか、認知症の理解だとかいう言葉を、簡単に口にしてしまう自分に嫌悪感を覚える瞬間がある。
果たして僕は、認知症の人の心の支えになっているのだろうか。その人たちの苦しみや哀しみに寄り添うことができているのだろうか。
その人たちに、本当の意味で思いを寄せているのだろうか。
もっと自分に厳しくありたい。もっと学んで成長したい。もっと人の気持ちを察する自分でありたい。僕の心の中の声がそう叫んでいる。僕の魂がそう叫んでいる。
もうすこし前に進んでいきたい。そんな僕と付き合ってくれる仲間とつながりあいながら、みんなで一歩先に進んで生きたい。

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