介護施設における相談援助職(以下ソーシャルワーカーと記す)の役割を明確にしないと、ソーシャルワーカーは、何でも屋と称され、体の良い小間使いとなる。
介護施設の相談援助職が、介護職員の数が足りないから手伝ってといわれて、食事介助や入浴介助を手伝うことが普通に行われている施設があるが、それらの施設では、なぜ介護職員はいないと困るけど、頭脳役の相談員はいなくて困らないのだろうか?
恐らくそれらの施設では、相談援助職の役割が入退所相談や、家族対応など限定したい場面でしか捉えられておらず、ソーシャルワーカーとしての役割が不明瞭になっているのだろうと思う。
そのため今週土曜日から、大阪で始まる介護ビジネスアカデミーの施設ケアマネージャー・生活相談員実務講座【毎回210分の合計6回(2回/月×3月)コース】では、相談員の役割を明確にするために、様々な角度からそれを具体的に示していきたいと思う。
相談援助職は施設サービス、居宅サービスの両者において総合調整の役割を援助過程で持つが、その役割は「基本的役割」と「付帯的役割」に分かれる。
基本的役割とは、専門職として担うべき本来的役割であり、そこに相談援助業務が入るだろう。
付帯的役割とは、個々のサービス状況、個人の事情や力量によって付加される役割であり、例えば申請代行、預かり金管理、年金及び健康保険に関わる諸手続き代行、身障手帳などの申請事務などに係ること、医療費減免に関する代行申請などが考えられる。
こう考えると施設の相談援助職は、様々な調整を行う過程で、利用者の家族だけではなく、外部の関係者とコミュニケーションを交わす窓口になることがわかる。そうであれば、日中の業務中にその窓口が閉まってあかない状態が長く続くことは好ましくないし、その理由が相談援助職の本来業務とは言えない、多職種のヘルプのためであるちしたら、そのことは大いに問題視されてよいだろう。なぜならそれは、利用者と社会資源をつなぐための調整ができない状態を作り出しているともいえるからである。
この調整窓口であるという意味を別角度から考えたとき、施設の相談援助職とは、「施設の顔」であるといえるかもしれない。訪問者の多くは、窓口の担当者の印象によって、その施設の印象としてしまう可能性があり、相談援助職の初期対応が施設の印象を決定づけるかもしれないのである。
そうであれば、利用者の暮らしを護る介護施設を標ぼうするのであれば、施設の顔である相談援助職には、何よりも訪問・来訪者に対して真摯に対応する気構えがなければならない。
厳しい時代を生き抜く介護施設の経営を考えるならば、施設の相談援助職が、ホスピタリティ(心からのおもてなしの意識)を持たないと、淘汰される施設になりかねない。
同時にそのことは、相談援助職だけが持つべき視点ではなく、利用者の暮らしを護るための視点として、全職員が持つんべきものであり、利用者の暮らしを護るためにも、相談援助職はそのことを施設に浸透させるリーダー役を担うべきであろう。
特に今、介護施設の虐待が問題となっている状況を考えたとき、その役割はもっとも重要となる。
よく虐待の原因が、介護ストレスが原因であるかのように語られることがある。確かに介護という職業は、他人の感情と直接向かい合わねばならないがゆえに、その感情に巻き込まれ、精神的負担を感ずることも多く、ストレスは決して少なくはない。
だからと言って、全国で約177万の介護職員の大多数が、ストレスのために虐待行為に走っているという事実はない。多くの介護職員は、何らかのストレスを抱えていたとしても、それ以上に介護という職業の使命感や誇りを感じ、やりがいを感じて、利用者の笑顔を求めて仕事を続けているのだ。そういう意味でマジョリティは、虐待行為と無縁の仕事をしている職員であり、
介護施設でのストレスチェックと、メンタルヘルスケアの重要性は、職員の心身両面の健康を守り、離職を防ぐためのもので、主たる目的が利用者に対する虐待防止ということではないはずだ。
虐待を抜きうちの実施指導で防ごうという考えも示されているが、行政職員がそこに来たという瞬間に、職員は構えて対応するだろうから、記録に残る行為以外を明らかにすることは難しい。つまり行政指導をいくら強化しても事実をつかむことは困難であり、虐待行為の抑止力にもならない。本当に求められる虐待防止策とは、虐待につながる要因とは何かを分析し、その要因につながる芽を摘み取る教育実践である。そしてその要因とは、介護のストレスではなく、感覚麻痺であり、感覚麻痺が、「介護施設の常識は、世間の非常識」という状態を生み出していることなのである。
言葉を崩して馴れ馴れしい言葉遣いをすることが、親しみやすさの表現だという変な誤解をなくして、顧客サービスとしてふさわしい言葉を普通に使いこなすことができる介護を作っていく必要がある。このことはサービスマナーとして普通に考えられるべきであり、その先にホスピタリティの視点が加えられるとしたら、介護と虐待は遠い存在になっていくだろう。
対人援助とは言葉で言い表せない、目に見えない、「心配り」なしで語ることのできない職業だと思う。だから尊い。だから誇りを持てるのだ。
目に見えない心が大切な介護という仕事であるがゆえに、マナーは当たり前、そこに心を加えてホスピタリティ意識を高めようというのは、至極当然の帰結でもある。

明日から大阪で月2回の介護セミナー・施設ケアマネ、相談員向け実務講座(1回3時間30分×6日間コース)がスタートするが、そこでは最新情報を交えて、ポスピタリティの伝道者となり得る相談援助職の在り方を伝えたい。
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現状、知識不足でも技術不足でも猫の手も借りたい現場が多いはずですが、例えばプロフェッショナル集団であれば、現場は私達がやるので、相談員は相談員の仕事、看護師は看護師の仕事となるわけですよね。
だって、医師の仕事や臨床検査技師、レントゲン技師の仕事は看護師は出来ないし、そもそも独占業務です。
ただ、専門職って何なんだろう?って時々思います。以前読んだ本で、専門職は弁護士、医師、公認会計士、税理士と聞きました。看護師や教師は準専門職なんだそうです。昔は自分じゃなきゃ出来ない仕事がしたいとか阿呆な事を考えてました。何年か前から私の代わりなんてどこにでもいると言う気持ちになります。今目の前で困っている方を援助してからでも、自分らしく仕事が出来るんじゃないか…って
masaさんはとても元気で向上心と生命力に満ちているんですよ