施設の相談援助職の方々を対象とした講演を行うことも多いが、そこでいろいろな方から相談を受けることは、相談援助職は、時に介護職員のヘルプに入る必要があり、介護実務を求められるが、それが当然なのだろうかということである。
相談援助職は、施設サービス全体のコーディネーターだから、介護実務ができるというスキルは認められてよいが、そうしたスキルがあるからといって、「介護職員の数が足りないから手伝って」といった形で、介護実務を行うことは不適切だというのが、僕の立場である。
もともと相談援助職員が、施設サービスを展開する中で、介護の業務に携わることが是か非かということについては、ソーシャルワークとケアワークの融合論と分離論という形で議論されてきた。
融合論とは、施設が暮らしの場である以上、それはすべて利用者支援というサービスの場であり、ソーシャルワーカーも、ケアワークを通じて利用者の総合支援を行うべきだし、そもそも両者を区分する必要はないというものだ。
それに対して分離論とは、生活の場であるといっても、利用者のニーズは様々で、介護実務だけを求めているわけではなく、介護支援の品質も含めて、精神的支援、経済的支援、家族関係支援などが必要になるもので、介護実務の専門家とは異なる、ソーシャルワーカーの支援を必要とするもので、融合論はその専門性を発揮させないというものだ。
つまるところは、相談援助職の専門性とか、役割とかが不明瞭であることが、ソーシャルワークとケアワークの融合論が生まれる所以である。
施設の配置基準において、生活相談員・支援相談員・介護支援専門員は、利用者100人に一人配置しておればよいということになっている。これは相談援助職が、利用者の直接介護を行う人ではなく、介護を行う人に対して、タクトを振って、サービス全体をコーディネートする、「頭脳」の役割を」持つという意味である。
相談援助職が、介護実務のヘルプを求める施設は、介護職員はいないと困るけど、頭脳役の相談員はいなくて困らないのか?
そもそも施設サービスは、日常性になることによって一定の品質が保たれるが、日常性は惰性につながるという一面があるのだ。
そうであるがゆえに、実践水準は内部的に更新するとともに、外部情報が取り入れられて更新されなければならない。施設サービスのケア品質で言えば、内部はケアワークそのもので、外部とはケアワーク以外の専門性を指すもので、ケアワークという内部の限界や甘さに対して、ソーシャルワークという外部からの補完機能は絶対に必要なのである。
つまり相談援助職とは、ソーシャルワーカーであり、介護施設において、蟻の目と鳥の目との両方の視点から現場のサービスをチェックできる存在でなければならず、介護職員と同じことを出来るというスキルは大事だが、同じ業務を行っている状態は、ケアワークの外部からのチェックと補完機能が存在しなくなるために、好ましくないのである。
サービスの質をチェックする人が、サービス実務を行いながらチェック状態とは、実践水準の内部的更新に過ぎず、外部からの補完機能にはならないということを理解すれば、施設ケアマネが、相談員以外の他職種(看護職員や介護職員)と兼務する状態は不適切であることにも気が付くだろう。
では具体的にその役割とは何か。そのことは後日明らかにしたいと思う。・・・もう名古屋に向かって出かける時間である。
※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。
あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。
「介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。
「人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。)
ケアマネージャーというのは、専門職であって専門職じゃないというのが所感ですが、チームワークが大事な職場なので、仕方ないかなぁと思います。最近はマネージメントとプロフェッショナルを分けて考える職場もあると聞きますが、そういう職場に勤務出来ていたら、割と幸せな方だと思います