始めにお断りしておくが、今日更新する記事内容は、ずいぶん「手前味噌」な内容になると思う。しかし本音を、歯に衣着せずして発信するというこのブログのコンセプトにおいて、手前味噌で自画自賛的の内容もありだ。それが不快に思う人は、読まずに立ち去っていただきたい。
さて本題。
今朝の北海道新聞朝刊の、「室蘭胆振版」では、室蘭市で胆振総合振興局が主催した、「看取り介護研修会」のレポートが掲載されている。その研修の対象者は、西胆振の介護施設の職員であったそうだ。(下記画像参照)
記事によれば、グループ討論に先駆けた講義について、訪問診療に携わる医師と、訪問看護ステーションの看護師が担当し、「死は特別なことではなく、援助者は何でもできるわけではないが、思いを寄せることが大事」、「口から食事摂取でいなくなった際の選択については、正しい情報を誘導せずに提供し、選択してもらうことが大事」などとレクチャーしている様子が伝えられている。
こうした研修会が開催されることは良いことだ。そうした研修会の様子が報道されることも良いことである。
ただこの記事を読んで、ひとつだけ残念に思ったことがある。
胆振総合振興局という北海道の機関が、せっかくこの地域で介護施設の介護職員を対象に、「看取り介護研修」を開いているのに、どうしてそこに「看取り介護」を実践している当事者を講師役として呼ばないのか?ということである。
当地域にその実践施設がないのなら、それは仕方ないだろうが、しかしここには、日本で一番最初に「看取り介護指針」を作成したという実績があり、全国のいろいろな機関から看取り介護セミナー講師としてご招待を受けている僕がいる。そして僕の施設での看取り介護の実践については、このブログ記事でも紹介し、様々な提言も行っている。(参照:看取り介護)
他の都府県から看取り介護の講師として声がかかる施設なのに、その施設が存在する地域で、道が主催する介護施設の職員対象の、「看取り介護研修」に、なぜ声がかからないのか不思議である。
医師や看護師の講義は大事だが、彼ら・彼女らが看取り介護の場で行っていることは、医療支援であり、看護支援である。そこには当然のことながら、介護行為支援も含まれるであろうが、医師や看護師という資格者が、その資格に基づく支援行為を行っている限り、介護施設の介護職員が抱える不安や、求めるものが見えてこないことが多い。
看取り介護の場で、医師や看護師とは立場の異なる介護職員が、そこでどのような不安を持ち、どのようなアドバイスを求めているかを考えたとき、実際に「看取り介護」を実践している介護施設の職員にしか伝えられないものがあるのだ。
訪問診療や、訪問看護の場ではない介護施設。そこは多くの場合、夜になれば医師も看護師もいなくなる。そうした場所で、家族以外の人の命が尽きようとしている瞬間に、介護職員として何を考え、何をしなければならないのだろう。
最期の瞬間に、医療行為や看護処置が求められるものではないから、介護職員による看取り介護というものが可能になるのであるが、介護施設という場所での看取り介護で、過去にどのような対応が行われ、そこでどのような問題が生じ、それをどのように解決してきたのかという実践論が不可欠だ。
「最期の思いに沿う」と言ったって、それだけでは単なる精神論だ。では具体的に介護施設で、どのような思いの沿い方をした事例があり、その先にどんな状況が生まれたのかという検証結果を明らかにしなければ、本当の意味での看取り介護研修にならない。
さらに言えば、医師や看護師が、介護職員に求めることがあるのと同様に、施設の介護職員が、医師や看護師に求めるものも存在するのだ。それを明らかにせずして、何が介護施設の看取り介護だ!!そのことをわかっているのだろうか。
看取り介護に対する理念や知識は必要不可欠であるが、実践につながらない「こうせねばならない論」は必要ない。
そうであるからこそ、介護施設で実際に行われた過去のケースの中から学び取るということも不可欠なのだ。それがなければ予想外のケースに遭遇して、右往左往して終わるという結果にしか繋がらないことが多い。介護施設で何ができて、何ができないかを現実の場面に遭遇して、よく知る者にしか伝えられないものがあるのだ。
医師や看護師からの学びも必要だが、医師や看護師から学びのみでは不十分なのである。
「看取り介護」について、全国に先駆けて実践してきた僕の施設では、看取り介護に取り組むにあたって、当初は看護師を講師として招き、様々な形で講義を受けたという経験があるが、その時の「ターミナルケア論」だけでは不十分であった。だから僕自身がそのことを学び、自分の施設でできることをそこに置き換えて、講師役となって知識を与え、技術を鍛え、現在の看取り介護の実践につながっている。
その看取り介護の実践については、全国レベルで評価を受けているのも事実だろう。そうでなければ実際に全国の多くの施設・機関などから、「看取り介護」の講師としてお招きを受けることにはならないからである。
せっかくこの地域で介護施設の看取り介護を学ぼうとするなら、そうした実践論をどうして取り入れようとしないのだろうか。僕や僕の施設の職員ではなくとも、介護施設の看取りを報告できる人は多いはずである。そういう人をなぜ講師に加えようとしないのだろう。
看取り介護は、「介護」なんだぞ。このことを理解してほしい。
少なくとも、ターミナルケア・看取り介護というものが、医師や看護師の指導の下にしか行えないという誤解や偏見はもたないでほしい。介護施設の看取りを学ぶならば、そこに実践論を加えるという配慮をしてほしい。
僕が講師を務める「日総研・看取り介護セミナー」は、参加費も決して安くはないセミナーであるが、すでに行われた3会場(大阪・札幌・仙台)では、すべて60名を超える受講者があり、受講後のアンケート結果でも高評価を受けている。
今月末の名古屋と東京の会場にも、たくさんの人が集まってくれる予定である。東京セミナーは当初予定の会場では人が入りきらない状態になって、途中で会場変更も行っている。
年度が新しくなる4月以降も、5月に福岡会場でセミナーが予定されている。日総研のホームページにはまだアップされていないが、それに加えて8/7(日)に岡山でも同セミナーが行われることになった。このセミナーの評判があまりに良いために加えられたものである。(日総研ホームページにも近々アップ予定だそうである。)
それはこのセミナー(3時間半)が、自施設に持ち帰って応用できる実践論であり、そこで生まれるであろう様々な想定外のことが、実際のケース報告のように伝えられているからである。
介護施設の看取り介護を考えるなら、是非そうした視点を忘れないでほしい。
看取り介護とは、死の支援ではなく、生きるを支える「介護」であるということの意味を、しっかり理解してほしい。
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介護職員からの歯に衣を着せぬ意見を述べさせてていただきます。
医療関係者は「お高い身分」であり、机上の理想論が好きなのでしょうね。完全な自己満足のサロンですね。
また、介護関係職員を呼ばないのは、「現実を聞きたくない」「本当にしなければならない、困難極まりない答えの出ない事実を知りたくない」に尽きるでしょう。
医療関係者が求めるのは、美しい建前だけなんだと思います。
あ〜私たちはこんなに一生懸命論議した、なんて素晴らしい思想だろう。満足満足。あとは誰かが実践してね、よろしく〜。
そんな感じでしょうね。