その日僕は福岡で講演を行っていた。揺れのなかった福岡で、その時間僕は何も知らずに日常の中にいた。

僕がまさに講演を行っていたその時間に、東日本では未曾有の地震が起こった。そして津波が発生してたくさんの人が波にのまれたことを知ったのは、夜になってからのことであった。

翌日呆然とした思いで書いたブログが、「大災害〜できることを最大限に」である。

しかしこの文章を今読み返してわかることは、まだどんな被害が発生して、それがどれほどのことであるのかわかっていなかったのではないかということだ。どれだけの大災害であったのか、実感がないままに書いた文章に思える。

それほどあの震災は、我々の考えも及ばない恐ろしい出来事だったし、他に例えようのない悲劇を生んだ。

僕は今日も旅の空の下にいる。新宿で行われている東京都社会福祉協議会が主宰する研修で、午前中に講演を行い、午後からの講義と報告会にも参加しようと、昼休みをとっているところだ。

今ここには平和で穏やかな時間が流れている。そんな時間がどれほど貴重であるかということを、僕たちは感じることもなく過ごしている。

しかしあの日の朝、一緒に朝ごはんを食べた家族が、数時間後に命を失うなんてことを考えていた人はいないだろう。その日が最期の日になるなんて思っていない多くの人が命を失った。その人たちに普通の朝はもう戻ってはこない。そう考えると、いつもと変わらないこと、何もない日常というものが、どれほど平和でありがたいものなのかということが身に染みてくる。

しかしそんな大災害があった国で暮らす僕らも、いつの間にかそのありがたさを忘れ、いつもの日が明日以降も必ず繰り返されると思い込んで暮らしている。それはそれでよいことなのだろうが、自分の目の前に、いつものように愛する誰かが存在しているという事実に感謝する日があってもよいだろう。

今日はそんな日である。

3.11では、僕たちと同じく介護の職業に就いていた人も、たくさん命を失った。人の役に立つ仕事を誇りに思っていたたくさんの仲間が命を失った。

僕たちはそのことを決して忘れてはならないし、志半ばで天に召された多くの仲間がいる国で、介護という職業を続けている意味を考え、その使命と責任を背負うべきだ。

亡くなったたくさんの仲間が、この世でやり遂げたかったことを代わって担うべきだ。

3.11を忘れない
この画像は、僕が講演で使う動画の中のスライドの1枚である。今日も講演の最後に、会場の皆さんにこのスライドが入った動画を見ていただいた。

今日という日は多くを語らずとも、このスライドから伝わるものがあったことだろう。「介護の誇り」とは、未曾有の大災害があった国で、生かされている者たちが、介護という職業を通して未来へ襷をつなぐために必要な思いである。

その思いを忘れずに、一人で100歩先に行くのではなく、100人の一歩を創る旅を続けていこうと思う。

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