殺人事件へと発展した、Sアミーユ川崎幸町で起きた入所者連続転落死事件。

亡くなった3名の方は、いずれも80代と90代の方々。青春真っ只中の時代に、あの苦しい太平洋戦争を生き抜いて、高度成長期の日本を支え、人生の最晩年期に安息の地を老人ホームに求めた人が、安住の地であるはずの場所で、そのホームの職員にむごい仕打ちを受けて、その人生を閉じなければならなかった無念はいかほどだろう。本当に哀しい事件だ。

このホームでは、事件以外にも日常的な職員の暴言や暴行まがいの乱暴極まりない介護が行われていたことが、利用者の家族の隠し撮りビデオによって明らかになっているので、日常的な労務管理・職員教育等が、全くなっていなかったという意味で、その管理責任は当然問われてくるだろう。

しかし、こと「殺人」という事案に絞って考えると、労務管理でこの事案を防ぐことができたのかは、短絡的に結論付けられる問題ではない。

例えば事件の容疑者は、面接に際してきちんとスーツを着用し、面接官の質問にも丁寧に答え、救急救命士の資格を介護に生かしたいことや、家庭内での介護経験を通じて介護という職業に興味を抱いた経緯を説明したという。その裏に、どのような心の闇が存在しようとも、面接という場面で、そのことに気が付く面接官はまずいないと言ってよく、逆に好印象を持って、「未経験ではあるが、将来有望な人材である」と考えても、そのことは決して非難できることとは言えない。僕自身の経験でも、面接では何度も騙されている。人材の見極めなどできるはずがないのである。

その後の勤務態度がどうであったのかは、今後問われてくるであろうが、しかしこの事件の現場となった施設に限って言えば、複数の職員が、介護施設を密室と化して、その中で神のごとく、暴君のごとく、利用者を虐待していたのだから、客観的な勤務態度の評価ができる環境にさえないというのが実情だろう。そこではメンタルヘルスケアという概念さえも存在していなかったのかもしれない。職員のストレスチェックも、なされていないのだろう。なされていれば、隠し撮りビデオの状態にはならないはずだ。

そんな中で最初の転落死が発生した。だからといって管理者はじめ他の職員が、職員の殺人を疑うということはまずないと言ってよいだろう。殺人という行為を行う人間が、自分のすぐ近くに存在していることを現実問題として考えている人間は少ないと思え、事故と考えてしまうのは人情である。

しかし短期間に2度目の転落死が起こり、しかもその際の宿直者が同じ人間であったという時点で、なぜこの施設の管理者は疑いの目を向けなかったのかは大いに疑問である。この状況はあり得ない可能性を疑うに足るだけの異常な状態であり、この時点で容疑者を夜勤から外すという処置をとらなかったことは、大いに非難されるべき問題だと思う。

第1第2の殺人は防ぐことができなかったとしても、第3の殺人は防ぐことができたのではないかと考えてしまうのである。

それにしても犯行を自供した容疑者の供述から、この犯行が職場への不満や、介護という仕事のストレスに起因しているとの報道が目につく。

しかしそれは本当なのか?容疑者自供しているから、それは真実であるということにはならないぞ。たしかに対人援助という職業は、様々な場面でストレスが生じやすいことは否定しない。しかしそのようなストレスは、何も介護という職業特有のものではないし、どの職業にも多かれ少なかれ存在するものだ。そもそも職場への不満や、仕事へのストレスが人を殺す動機に直接つながるものなのか?それなら日本中で一体、年間何人が殺されなければならないというのだ?

不満やストレスが、殺人につながるというなら、それは極めて衝動的な行為にならざるを得ないのではないのか?しかし容疑者の今回の殺人は、衝動的な行動の結果ではなく、極めて計画的で、冷静な行動の元に行われている。

寝ている被害者に声をかけてお越し、気分転換の散歩を理由にベランダに連れ出し、そこから冷静に体を持ち上げて落としている。しかもそれは他の宿直者に疑われない時間帯と場所を選んでの行動であり、犯行後は第一発見者を装い、救命行為を行っているようなふりもしている。

これは通常ならば、感情的な起伏のない衝動ではない快楽殺人であり、サイコパスが疑われる行為である。サイコパスではないとしたら、例えば窃盗の証拠を隠すための行為ではないかと疑いたくなる。

どちらにしても介護施設で、職員による連続殺人が行われた=介護という職業のストレスに起因した問題というのでは、あまりにも筋書きができ過ぎた犯行動機である。容疑者の心の闇は、もっと深いところに存在するはずだ。施設内で窃盗を繰り返し、そのお金を同僚などにおごるなどして派手に使って、自分は他からも収入を得ているかのように装っていた自己顕示欲は、どこから来ているものなのかも含めて、容疑者の深層心理を見つめる視点が必要である。それはおそらく、この容疑者が他の職業に就いていたとしても、いつか表面化する問題ではなかったのだろうか。

ここを深くえぐり出していかないと、介護という職業が悪役にされ、そのダウンイメージはさらに深刻になるだろう。介護という職業のマイナスイメージを助長して、この殺人事件の原因としたところで、問題の根本解決にも、将来への教訓にもならないだろう。

どちらにしてもこの事件によって失われた貴重な3人の命が、無駄死にならない考察を願うものである。Sアミーユに関していえば、親会社のメッセージも含めて、その周辺にたくさんの不適切介護が存在したという事実を、もっと真摯に受け止め、介護事業の経営を、その多角化実績とともに認め治してほしい。橋本CEOは、もっとこの事件全般について、自らの言葉で説明する責任があるのではないか・・・。

介護は、決してお金持ちにはなれないし、ストレスの生じやすい職業であることも否定しないけど、それ以上に人の笑顔と幸福につながる、得難い誇りある職業である。それを穢す人々には憤りしか感じないが、日本中の憤りの声は、これからいったいどこに向かえばよいのだろうか。

我々にできることは、我々の目の前にいる人々の幸福を目指して、小さなことを大きな愛をもって続けていくしかないのだろうと思う。

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