昨年一番ショックを受けた事件とは、川崎市の有料老人ホーム(特定施設)「Sアミーユ川崎幸町」にて、一昨年11月4日から12月31日までの間に当時85歳から96歳までの男女3人の入居者が、相次いで同一方向の居室ベランダから転落死していたことが明らかにされた件である。

さらに同ホームでは、3人が転落死した際のいずれも当直夜勤者として現場に居合わせた当時23歳の男性介護職員が、入居者たちから金銭や貴金属合わせて約200万円余を盗んだ疑いで神奈川県警に逮捕されて懲戒解雇されたほか、別の男性介護士ら4人が、入居している85歳女性を虐待していたことも、家族による隠し撮りカメラの映像から明らかになっており、この件では3人が書類送検されている。(当事者4名は既に退職しているとのことである。)

この件で監査に入った川崎市の処分は、市への介護報酬請求と入所者の自己負担分の請求を、今年2月1日から4月30日までの3ヵ月間停止させる処分とし、昨年12月21日に「指令書」を手渡したと報道されている。行政処分としては、これで終わりということなのだろう。

しかし3名もの利用者が不審な転落死をしている件についてはどうなるのだろうか。このまま事故として処理されて終わりなのだろうか。そうであれば遺族の方々はなんとも無念で、納得がいかないだろう。

今後、刑事事件として立件される可能性はあるのだろうか?このままの幕引きで終わるとしたら、法治国家とはなんなのかと命題を、この国は背負うことになるような気がしてならない。

さて転落死の件とは別に問題となった、隠し撮り映像について考えてみたい。

このようなケースが報道されると、認知症で正確な状況を自ら訴えられない人の家族は、自分の親が介護施設等の中で、どのような扱いを受けているのか、適切なケアを受けているのだろうかと不安になって当然である。

そうであれば、特段不適切な行為があると感じられない施設であっても、今後家族が隠し撮りして状況を確かめようとすることは十分あり得るだろう。

それは自分の家族のプライベート空間を、家族を護ろうとして隠し撮るわけであるから、違法性は問われないだろうし、そこで映るであろう施設職員の行為は、施設職員のプライベート場面ではなく、施設サービスという業務としての行為であり、このことを隠し撮ることも、特段違法性はないように思える。

まあこのあたりの法律論は多少怪しい部分もあるやもしれないし、そのことはともかくとしても、介護サービスの実態が、隠し撮りされる機会は多くなりこそすれ、少なくなったり、無くなったろすることはないだろう。

その時、僕たち介護施設関係者は、そうした行為をどのように考えたらよいのだろうか。前述したように、僕は隠し撮りをしたくなる家族の気持ちをもっともだと思っている。

そうであれば隠し撮りをされることについて、「自分たちのことを信用できないのか」と憤るのではなく、「信用したいから隠し撮りする家族もいる」と考えて、いつどこの場面で、職業として介護に携わっている自らの姿がカメラに撮られても、恥ずかしくないようにしようと考えれば良いのではないかと思う。

このことは自分の施設の職員にも、朝礼等で繰り返し言っていることであるが、実際に隠し撮りのカメラを設置する家族がいたとしても、それをとがめるのではなく、そういう気持ちになるほど、家族というものは自分の身内を愛し、自分の身内の心配をするものなのだと考え、そういう人たちが安心できる日常の対応に心がけてほしいと思う。

むしろ、隠し撮りカメラがなくとも、自らの心に、自らの行動を映すカメラを常に持ちながら、いついかなる時も、自らの行為を自分の心のカメラに写して、それを観て恥ずかしくない行動に努めようと訴えている。

プライベートの時間に、そのようなカメラを心に抱く必要はないが、せめて自分が勤務している時間、自分が利用者と1対1で相対している時間だけは、自らの心の中に、自らの行動を映すカメラを抱いて行動することがあってもよいのではないだろうか。

なぜなら本来の介護とは、決して人に後ろ指刺されるような行為ではなく、誰からも喜ばれ、感動される行為ではないかと思うからである。

有料老人ホームSアミーユ川崎の隠し撮りビデオ映像に映された、介護職員の利用者に対する暴言と虐待行為は、世間からそれが介護現場の氷山の一角であるかのように言われ、どの介護現場にも多かれ少なかれ、そのような行為がはびこっているかのような批判が寄せられている。そのことは介護の現場で働く人々のモチベーションを下げるものでしかない。

しかし実際には、そのような行為とは無縁の介護事業者の方が圧倒的に多く、報道された虐待が氷山の一角とされるほど、介護事業の屋台骨は腐ってはいない。

事実、介護を職業として選択しようとする人の一番の動機は、「人の役に立つことができる仕事だから」というものであり、人の役に立つために日々の仕事に励み、自己研さんを続けている人は枚挙にいとまがない。そのよう人々が正当に評価され、それらの人々の思いが実現する介護サービスの場を、我々は創り護っていく必要がある。

その証明は、自らが心に抱く仮想のカメラであってよいのではないか。自らが一片の曇りもなく、自らの行動を語ることができる姿勢であって良いのではないだろうか。・・・良心に基づいて。

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