威勢の良いお店は嫌いである。

飲食店で食事をしている際に、従業員が、「いらっしゃいませ」と言うのは良いが、それが大声であったら落ち着かない。もっと静かに挨拶できないかと思ってしまう。出来ればそういうお店には再訪したくないと思う。

本屋で本を選んでいるときに、「いらっしゃいませ、こんにちは。」と声を張り上げる定員は、騒音の元でしかない。読みたい本を落ち着いて選ぶことができない。だから本屋から足が遠のき、ネットでの本購入が主になっている。

コンビニエンスストアでも同じである。店に入る際に、いきなり大声で声を掛けられると、ドキッとして立ちすくんでしまう時がある。思わず、「うるせい!!」といいたくなる気持ちをぐっと抑えている。近くに他のコンビニがあるならば、より静かに挨拶してくれる方を選びたい。

挨拶って、そんなに大声でなければならないのか?なぜ大声を張り上げる必要があるんだ。大声で客にあいさつしなければならなというマニュアルでもあるのだろうか?

僕の場合に限って言えば、大声であいさつする定員がいる店より、不愛想な主人が挨拶なしで客を迎える店の方がましと思うのである。

挨拶が必要である場合も、もっと普通の声のトーンで、日常会話を交わす程度の音量ではいけないのか?客に対する声のトーンや、表情に気を使う必要はあるだろうが、それは静かな微笑みとともに、落ち着いた静かな声で、あいさつや歓迎の言葉を掛けることであってもよいと思う。

介護施設や介護サービス事業所であっても、同じことが言えるのではないか。元気に声をかけることが、お客様の脅威になっていないかを考える必要がある。介護サービスを利用するすべてのお客様が、大きな声で叫ぶように挨拶することを望んでいるとは限らない。むしろそうした大きな声を望まない人が多いのではないのか?

元気な声が、ことさら大きな声である必要はない。心の元気さを表す言葉とは、静かであっても、丁寧でゆっくりと、相手に配慮した声である。特に体育会系のような、語尾がわからない、やたら大きいだけの声の挨拶は迷惑でしかない。

勿論、高齢者の方々が利用するサービスの場合、難聴の人も多いのだから、そういう人に普通の声の高さやトーンで話しかけても聞こえないということがある。その際は、大きな声が必要だろうが、それはあくまで個別性への配慮があるべきで、難聴の人に大きな声であいさつするような声の大きさが、スタンダード化される必要はないだろう。

特に問題なのは、アルツハイマー型認知症の人に対する大声での挨拶である。それらの人は、脳の海馬という細長い器官の周辺部に、血流障害が生じていることが多く、海馬の機能が低下している。ここは情報を貯めておく器官であるから、その機能が低下しているという意味は、新しい記憶が保持できないという意味になる。

そうであれば、介護支援者がどんなに心をこめて援助にあたり、その方から信頼感をもってもらったとしても、その利用者の方は、毎日支援者の顔と名前を忘れて、次の日支援者と相対する場面では、知らない誰かとの出会いの場面である。その時に、支援者が「自分は信頼されているから」という理由で、「おはよう〜!!」と元気よく声をかけることがあったとしたら、その時の利用者は、知らない誰かがいきなり大声で、馴れ馴れしく挨拶してくることに対し、不思議に思うか、戸惑うか、怖がるだけである。

アルツハイマー型認知症の人は、エピソード記憶や意味記憶を保持できず、人の顔や名前を忘れても(※というより記憶できないという方が正確かもしれない)、回路の異なる「感情」は残っているので、触れ合う人が信頼できる人である場合、安心できるという感情は残されているが、その日最初の出会いで、その感情が湧きあがることはなく、静かな触れ合いを重ねることで、支援者に寄せる信頼感が湧いてくるのだから、朝一番の配慮のない大声での挨拶は、百害あって一利なしである。

求められるものは、見せかけの元気さではなく、真の元気な心である。求められるものは、大きな声ではなく、すべてを包み込む大きな心である。

どうぞ、静かな声と丁寧な言葉で、大きな愛を表現できる人になってください。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。