年末から年始にかけて、我が施設の献立にも、たくさんごちそうが並べられている。

その献立表を見て、今から楽しみだと言ってくださる利用者も多い。やっぱり食事は、栄養以前に人の最大の楽しみなんだと思う。

そういう意味で食事とは、体に栄養を与えてくれるのと同時に、心にも栄養を与えてくれるものなのだろうと思う。

それだけ食事サービスとは重要である。だから限られた予算の中ではあっても、最大限の努力で、見た目にもよく美味しいものを食べていただきたいと思っている。

この大切な食事を、ただの栄養補給とみてしまった時に、介護施設は冷たいブラックボックスになってしまうのだろうと思う。

だから、管理栄養士をはじめとした食事サービス担当職員には、利用者の喜びとなる食事という面を一番大事にしてほしいとお願いしている。食事制限が必要な人も、制限が当然ではなく、その中で「できること」を最大限に考えてほしいとお願いしている。

僕はこのことを、「制限は馬鹿でもできるが、出来ることを見つけることは智恵のある者にしかできない。」と表現している。食事という面では、施設の中では、管理栄養士が一番の知恵者であるはずなので、施設長ごときが考え付かない方法を見つけてほしいと思っている。

そのような取り組みの継続の結果が、お餅を食べることができない人の、「疑似餅」や、嚥下障害のある人に対する、ムース食やソフト食といった嚥下食の充実に繋がってきていると思う。

当施設は今年度途中から、給食サービスを直営から業者委託に変えたが、当初いろいろと混乱はあったものの、毎月の給食会議等で業者側と話し合いを重ね、食事の質も落ちることなく、嚥下食はさらに充実したものになっていると思う。これからも話し合いを続け、さらなる品質向上に努めたい。

この食事に関して、僕のフェイスブックで繋がっている方が、こんなコメントを寄せてくれた。

「のどに詰まる可能性があるので、うちでは餅を出しません」、「生ものは危ないので、年中通して生ものは出しません」(生ものとは、刺身を指すこともあれば、中にはサラダすら生ものとして出さない所もあり)という事業所が多いです。「安全」という大義名分で、普通だと思っていた生活がなくなるのは、悲しいです。そこで働く職員さんたちも「安全のためには仕方ない」としか思っていないようで、それも残念です。

いまだにこのような施設があり、しかもその数が決して少なくないことに心を痛めている。介護施設に勤めるものとして恥ずかしいことだと思う。それは、サービスの品質などという言葉が存在しないほどの、低レベルな状態であると断じてよい。

誤嚥事故や食中毒を防ぐ視点は大事だろう。しかしそれが度を過ぎて、制限一方では、食の楽しみを奪ってしまう。それはもしかしたら、「生きる喜び」を奪いかねないことだと思う。

果たしてその施設の職員は、この食事提供の状況が続くとして、将来その施設に入所したいと思うだろうか?僕ならそんな施設には絶対入りたくないし、自分の身内も入れようとは思わない。

刺し身を出さない施設の職員は、自分たちが年末・年始にかけて、お刺身やお寿司に舌鼓を打つ姿を、その施設の利用者に見せることができるのだろうか。自分たちの食卓だけ豪華に飾り、施設の食卓に刺身も餅も、生野菜さえも乗せないことに、心苦しさを覚えないのだろうか。

このことに何も感じないとしたら、それもすでに感覚麻痺である。世間一般に食べられている普通の食材を制限すること自体、虐待と言えるのではないだろうか。

施設の管理者は、施設のルールを決めることができるという権限を持っている。施設管理者の考え方ひとつで、そこに入所した人々は、死ぬまで刺身も餅も生野菜も食べられなくなり、一生涯を終えてしまうことになる。この恐ろしさを知るべきである。

施設管理者の役割りとは、こうした制限の網の目を細かく張ることではなく、最大限の知恵を絞ったうえで、出来る可能性を広げる役割りであり、何か事故等があった際には責任を取る役割である。

責任を取る覚悟をもって、人の喜びを奪わないために知恵を絞ることが、管理者の仕事だ。

制限しかできないということは、知恵がないということだ。責任を取りたくない、知恵もないという人は、施設管理者としての能力に欠けるということだ。そうであれば、他の仕事を探したほうが世のため人のためである。

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