終末期をどのように過ごすかという判断は、本来その人自身しかできないものだし、その人自身がすべきである。

しかし自分の死について現実問題として考える前に、終末期を迎えてしまい、自身が意思表示ができない状態で、周囲の人々がその決定をせざるを得ないケースが多い。

それは決して求められている状態ではなく、そうしなくてもよいようにすることが求められる社会になりつつある。

そのためには自分自身の死や、愛する身内の死について語り合うことを、「縁起が悪い」などとタブー視せず、愛する誰かと日常的に、自分がどのような終末期を過ごしたいのかを語り合い、確認し合う必要があると考えている。

意思決定能力のあるうちに、自分の終末期医療の内容について希望を述べ、延命だけの治療は拒否するが、苦痛を和らげる緩和治療は最大限に行ってほしいなどの意思を示し、記録しておくことを『リビングウイル』と呼ぶ。このことは、今後の社会ではますます重要になってくると思う。

延命治療の結果が、どのような状態を作りだしているのかを考えるうえで、参考になる著書として、「欧米に寝たきり老人はいない〜自分で決める人生最後の医療より」(宮本顕二&宮本礼子著:中央公論新社 )があるが、その中で、とある療養病床の日常の風景が書かれている。

その内容は、病床の約7割の方が経管栄養か中心静脈栄養であり、その半数の方が痰がつまらないように気管切開され、チューブが入っている状態であるとし、看護師が数時間おきに気管チューブから痰の吸引を行っていることが紹介されている。そこでは吸引のたびに苦しむ患者の姿があり、意識がない患者でも体を震わせて苦しむ姿が明らかにされている。

果たしてそこで紹介されている人々は、自らの意思でその状態を選択したのであろうか。延命治療の結果、予測される状態の説明を受け、選択する機会は与えられていたのだろうか。そのような状態で生き続けたくないという意思表示を行う機会は与えられていたのだろうか。

もしそうした機会さえ与えられない状態で、このような日常が作りだされているとしたら、そのことはもっと問題視されてよいのではないだろうか。

少なくとも僕自身は、そのような姿で命をつなぎたいとは思わない。

我が国では、現在亡くなる人の8割以上が医療機関で死の瞬間を迎えている。しかし2010年と2030年を比較すると、約40万人死者数が増え、その中で医療機関のベッド数は減少するのだから、そこで死ぬことができない人が増大する。

そうであれば、どのような終末期を迎えたいのかという問題は、どこで死ぬかという選択肢も含めた問題であることがわかり、自分が意思表示できなくなった際に、周囲の誰かがその選択をする際に、その重い選択に、愛する誰かが悩まないようにするためにも、自分自身の意思表示が必要であると主張してきた。

親が子より先に旅立つことを前提に、自身の終末期の過ごし方を子に伝えておく意味について、そのことを子を持つ親の立場と、親の元に生まれた子の立場と、両方の観点から考えてほしい。

子を持つ親の立場で考えたとき、それは自分の愛する子に、親の人生の最終ステージの生き方を決定するという重い決断の下駄を預けて、子に精神的な負担をかけるという状態にしないという意味がある。

親の死に対して悲嘆感を持ち、グリーフケアが必要になるケースの大半は、親の死という事象そのものより、死に方がこれで良かったのかという疑問から生じている。

親の意思を確認できない状態で、終末期をどこで、どのように過ごすかを子として選択したとしても、そこで親が長年苦しむ姿を見たり、あるいは延命治療を行わずに死に至る場合に、「本当に自分の決断が、これで良かったのか。間違った選択を行ってしまったのではないか」と思い悩むことが、悲嘆感につながるケースは実に多い。

そうしないための唯一の方法は、あらかじめ親から子に、自分がどのような状態で終末期を過ごしたいのかという希望を伝えておき、その希望に沿って子が選択することである。

親の元に生まれた子の立場でこのことを考えたとき、それは自分を生んでくれた親に対して、この世で最後にできることは、親の望む形で、親の人生の最終ステージを過ごせるように、子としてその決断をし、看取ることである。その時に、親の希望を聞いておかないとしたら、もしかしたらそれは親の望む状態ではなくなるかもしれない。

勿論、親の立場でいえば、子が決めたことは常に最善で、それ以外の選択はないと言ってくれるだろうが、そうであったとしても、本当はどういう終末期を過ごしたかったのかを確認することで、その希望に沿った人生最後の親孝行ができようというものである。

そういう意味で、周囲の愛する誰かと、自らの終末期について語り合うことは、それは死を語るという意味ではなく、愛を語るという意味であり、決して縁起が悪い話ではないのだ。

さあ愛を語ろう。できるだけ早く。明日に回さずに・・・。

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