介護保険施設は、利用者にとって「暮らしの場」であるのだから、くつろいで暮らすためにも、職員が堅苦しい言葉遣いで対応しない方が良いとして、くだけた口調で会話をする人がいる。それらの人々は、そうした言葉遣いが本当に利用者のくつろぎや、親しみの感情につながっていると信じているのだろうか。

そもそも年上の人に対して、年若い人がタメ口や、友達に話しかけるような口調で語りかけることを、不快に思わないという保障はどこにあるんだろう。

勿論、それを許してくれる利用者もいるのだろうが、それに甘えてどうするのだと言いたい。僕たちは介護のプロとして、もっとも対人援助サービスとしてふさわしい適切な言葉を使いつつ、同時に利用者から親しまれる必要があるのだ。言葉はそれを使う人の人格を現し、それはその人の運命になるのだという諺(ことわざ)を肝に銘ずるべきである。

そもそも日本の伝統社会における、世間一般の常識は、年上の人=目上の人=丁寧語で話しかけなければならない、であるはずだ。

それが証拠に、入職間もない年若い職員であっても、先輩職員や上司にタメ口で話しかける人はいない。「いまどきの若い者は」と言われる、いまどきの若者であっても、目上の人には丁寧語で話しかけるという常識は持っているのである。

それなのに何故、介護サービスの場でそれらの常識を持った人たちが、顧客である利用者に、「タメ口」で話しかけるのだろう。それはとりもなおさず、先輩職員の馴れ馴れしい口調を真似るようになるからだと思え、この部分で職員教育がされていない職場が多いということである。

その口調を放置しておくと、お客様であるはずの利用者に対し、「ニックネーム」をつけて呼んだり、「ちゃん付け」で呼んだりする状態になる。これが異常だと思えない職場では、やがて何でもありの結果、虐待へとつながっていくだろう。いや、そもそも年上であり、顧客である利用者を、ニックネームやちゃん付けで呼ぶこと自体が人権蹂躙であり、虐待であると言ってよいだろう。

先日、八戸の看取り介護講演にも来てくださったK氏が、僕のフェイスブックに次のようなコメントを書いてくださっている。
丁寧な言葉使いは、外部からは見えにくい介護職の日々の地道で温かく丁寧なケア実践を、可視化、見える化し、ご家族や来訪者に証明する有効な手段でもあると考えています。

まったく同感である。僕は自身の職場でも常日頃、『お客様に対する心遣いを「見える化」するのが、丁寧な言葉である。』と教育している。それと同じようなことを考えてくださる実践家がいて下さることは勇気になる。

介護サービスの割れ窓理論は、職員の利用者に対する「言葉遣い」を窓ガラスにたとえ、言葉が乱れることは、窓ガラスのひび割れであるとし、それを放置しておくとひび割れは広がり、窓が割れ、やがてそのことで建物全体が荒廃していくので、ひび割れである、「言葉の乱れ」を見つけたら、即それを修正し、介護サービスの質の低下を防ごうという理論である。質の低下した介護は、えてして人権蹂躙を生むからである。

事実、介護サービス事業者の中には、人の暮らしに寄り添うという意識に欠け、人権侵害と思える状態を放置し、人として許されない虐待行為が日常的に行われているところがある。

昨日も広島県福山市の「グループホーム かざぐるま」で、利用者にプロレスの技をかけたり、暴言で心理的虐待を行っていたという報道がされている。それらの加害者は、何を目指して介護の仕事に就いたのだろう。

汚い言葉は、自らの心を汚してしまうことに気が付いてほしい。例えば「ここで待っていてください。」という言葉を、「ここで待ってなさい。」といったとしても、それは暴力的表現になるかもしれない。「ちょっと待ってね。」なんていう表現は暴力的な表現とは言えないかもしれないが、少なくとも顧客に対して使う言葉としては適切ではい。

僕はそうした言葉かけには不快感を覚える。だからもし自分が利用者として介護サービスを使うようになったら、サービス提供に関わっている従業員が丁寧語を使わなければ不快感を覚えるだろう。それは不遜な考えなのだろうか。僕はそれは顧客である利用者にとっては、当たり前に生じ得る感情だと思う。

梨下に冠を正さずという言葉があるように、人の暮らしに寄り添う我々の職業では、暴力的な言葉と疑われかねない表現をしないようにすべきである。暴言と思われかねない誤解されるような言葉を、日頃から使わないようにすべきだと思う。友達同士の会話で使うようなフレンドリーな言葉遣いを、顧客である利用者に対して使うことは不適切だと思う。堅苦しさを感じないようにフレンドリーに言葉を崩すことも誤解を受けるリスクが高い。

この道の先駆者と呼ばれる人の中にも、わざと言葉を崩して、そのことを自慢げにひけらかしている人がいる。その人の実践を学ぶ前に、その崩した言葉だけを実践する輩を生むことにおいて、それは功罪相半ばというより、罪の方が重たい。

言葉遣いを正しくするように教育する施設を、「強制労働より悪い」と言い切るM.H氏しかり、教育の場である講演などで、利用者を「じいさん、ばあさん」呼ばわりするW.Y氏しかり。彼らの実践は素晴らしくとも、彼らの言葉を真似ることで、人を傷つけている輩を数多く生んでいることに気が付くべきである。
言葉は人格を現し運命になる

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