地域包括ケアシステムが目指すものは一つではないが、その中に「死ぬためだけに医療機関に入院しない」という目的も含まれてくる。
我が国では、2030年には2010年と比較して、死者の数が約40万人増える。しかし医療機関のベッド数は今より少なくなるのだから、現在8割以上の人が医療機関で亡くなっている状況を変えなければ、死に場所が見つからない人が出てくる。
いや正確に言えば、人間はどこでも死ねる。しかし人の生命が燃え尽きる瞬間まで、人間らしく生き続け、安らかな最期を過ごしたいと思うのであれば、それは死に場所が問題になるという意味で、それは路上で野垂れ死にすることではないということだ。
そのためには、終末期に過ごすことができる場所として、選択できる場所が多様化する必要があるし、自分にとって最もふさわしい場所であれば、それは医療機関であっても、施設であっても、自宅であっても構わないということにならねばならない。つまり死に場所は、医療機関とか、特養とか、サービス付き高齢者向け住宅とか、グループホームとか、自宅とかの種別で選ぶのではなく、そこで何ができるのかという個別性で選択することが大事だという意味だ。
その選択ためにも、日頃からの情報収集が大事であり、逆に言えば看取り介護・ターミナルケアを実施していると言いながら、それが密室で行われて、何をどう行っているのかという具体的なものが見えてこない場所は怖いということだ。そこでは何が行われているかわからないのである。
だから施設サービスにおいて、看取り介護を行う場合も、それは他の利用者に隠して密室化させることなく、オープンな形で行うべきである。利用者であっても、旅立って行く人の親しい友人ならば、できるだけ最期の瞬間をお見送りすることに協力したいと思うはずであり、その時に何ができるかを考えて、その協力を支援する視点も、我々には求められてくる。
僕の施設では、様々な形で利用者にも協力していただきながら看取り介護を実施しているが、そのことによって(同じ施設に暮らす人が亡くなっていくことに関して)他の利用者がショックを受けるなんて言うことはない。だから、そのことを理由に看取り介護を実施しないなんていう選択肢はないと思う。
むしろ良い介護をして、安心して看取られている状態は他利用者の安心感にも繋がる。それは、この場所で最期まで暮らし続けることができ、最期まで任せることができるという安心感であり、自分もこの施設で、最後の瞬間まで、このように温かく心をこめたケアを受けることができることを確認することであり、ずっとこの場所で暮らしたいという思いにつながるのである。
そういう介護視閲であって初めて、施設は地域包括ケアシステムの一翼を担う機関と言えるのではないだろうか。
しかし一方では、介護職員の募集に応募がない情勢と絡め、こうした看取り介護の取り組みは、職員に過度の業務負担と、精神的負担を強いるものではないかとして、その実施をためらう施設管理者がいる。
しかしそれは大きな誤解である。看取り介護は、決して簡単な業務ではないが、しかしそれは「介護」であって、特別なサービスではない。看取り介護は、日常の生活介護の延長線上にあるもので、日常のケアの品質を高め、介護施設を利用者にとって、「安住の場」にしようとするなら、それは実施して当然のケアであり、介護サービスの中で提供しうるサービスなのである。
当然そこには、配置医師の協力や、看護職員の対応が必要になるが、それは日常の医療・看護サービスや、介護サービスを超えるものではなく、ここに特別な医療支援が必要ということもない。この誤解を解いて、安心・安楽の介護を提供する必要がある。
適切な看取りを行い、家族に喜んでいただけることで、職員のモチベーションは確実にアップする。その結果、離職する職員が減る効果が生まれる。それは職員の定着率が高まるという意味であり、看取り介護の実施が介護施設の人手不足に拍車をかけるというのは大きな誤解なのである。
11/28(土)に青森県八戸市のはちふくプラザ根城(八戸総合福祉会館)で行われる「かっこうの森主催研修」では、「看取り介護から考える、ケアの基本姿勢〜傍らにいることが許される者になるために」をテーマに4時間の講演を行う。そこでは実際のケースを紹介し、看取り介護を通じて職員がどのように成長し、業務に対するモチベーションを高めているか紹介したい。
(※一般参加可能で、まだ申し込み受付しています。張り付いたリンク先をダウンロードしてお申し込みください。)
例えば、「人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」(赤本)130頁「看取り介護期のあきらめない介護」で紹介した、チェーンストークス呼吸が起こった人のエピソードによって、介護に感動と喜びを見出した職員は、その後正しい知識を得ることで、さらに介護福祉士として成長していった。
夫の旅立ちの瞬間に立ち会うことはできなかった妻のケースでは、最期の瞬間の様子を、息を止める瞬間に立ち会ったケアワーカーが、安らかな最期であったことを丁寧に説明することにより、妻は安堵し、「この施設に任せてよかった。」と言って涙された。それは大事な人を失った悲しみの涙であると同時に、最期の瞬間を安らかに見送ることができる場所を選択できたという満足の涙でもあったが、職員が最後の瞬間まで心を込めて看取り、その様子を家族に伝えることで、残された遺族が悔いを持たず、悲嘆感にくれて前を向けないという状況を生まないことができる。
それが介護に携わる我々の使命であり、その使命を果たそうとする限り、我々のモチベーションは消えることはないし、その思いは残された遺族にも伝わり、きっと遺族の感謝の気持ちにつながっていくだろう。
それはまさに働く職員の喜びであり、そのことがこの仕事への誇りとなり、仕事を続けたいというモチベーションとなるだろう。
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