11/1に東京都葛飾区で行った講演は、「認知症の症状と対応」がテーマだったので、そこでは2007年12月に起きた、認知症の男性(当時91歳)が線路内に立ち入り電車と接触した死亡事故の、1審と2審の判決について取り上げ、今後出される最高裁判決に注目する必要があるという話をした。

そこでは「判決内容は2審とは異なるものになることを期待している」と結んだ。

それはこのまま2審判決が認められ、80代の妻の監督義務不履行と判断されるのならば、認知症の人を在宅でケアする家族は、万一に備え、認知症の人を家の中に閉じ込めるような事態になりかねないことを懸念したという意味でもある。

この訴訟については、このブログにも過去に、「注目の控訴審判決は来週の木曜です」・「認知症男性の電車事故裁判は2審も妻に賠償命令」・「認知症の人に対する家族の監督責任はどこまで求められるのか」・「正義という名の暴力が許される社会は怖い」・「認知症の人を地域社会がどう守っていくのか?」などの記事を書いてきたので参照いただきたい。

そちらでも指摘しているが、JR側には実際に損害が生じており、認知症の人の線路侵入を防ぐことができなかったというだけで、JR側だけに大きな費用負担を生じさせるのはおかしいという意見もあり、遺族側に一定の損害賠償を求めるのは当然のことだという意見もある。亡くなられた男性の生命保険や、その他の相続金の一部から損害賠償金を支払っても、生活が困窮するわけではなく、今回の判決の額も妥当な金額であるという意見の持ち主もおられることを十分承知している。

そのうえで僕は、徘徊行動がある認知症の人を外に出さないように部屋に閉じ込めたり、体を縛ったりすることが当たり前ということにならないように、徘徊行動のある認知症の人を、地域社会全体でどのように見守り、安全確保するのかという方向性も含めて、この裁判結果の議論が進行してほしいと指摘してきた。

注目すべきは、この最高裁判決によって、「認知症で責任能力がない人が起こした行為に、親族の監督義務がどこまで及ぶのか。」が判断されるということであり、これが一つの判例となり、今後の社会に大きな影響を与えるということだ。

そのことに関して、昨夕新たな動きが各所報道機関により報道されている。

それによると最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は10日、当事者の意見を聞く弁論を来年2月2日に開くことを決めたとのことである。

この意味は、弁論とは二審の結論を変える際に必要な手続きであることから、死亡した認知症の男性の妻の監督義務を認めて約360万円の支払いを命じた二審判決が、何らかの形で見直される公算が大きいと報道されている。

このことによって、妻の監督義務はなかったとして損害賠償金を支払わなくてよいという最高裁判決が出されるかもしれない。

しかし、そうであったとしても、それで問題解決ではない。

今回の訴訟について、最高裁に上告しているのは、原告・被告双方である。ただ原告であるJR東海が、死亡した認知症男性の家族を被告として訴えてる状況から、JR東海側が悪者扱いされる傾向がある。しかしそれは違うだろう。

現にJR東海は、事故による損害を受け、費用負担が生じているわけで、その正統な損害賠償を求めて訴えているだけのことである。この際に、認知症で踏切に入ってはねられた人の家族が、その賠償責任を負うほどの過失が認められるのかということが問われているわけであり、どちらかが不正義というレッテルを貼られるわけではないのである。

そうなると、仮に家族の損害賠償義務が認められないとしたら、JR東海が被った損害については、「泣き寝入り」なのかという問題が浮かび上がってくる。企業だからそれは我慢せよという理屈にはならないだろう。

それに今後の社会事情を鑑みれば、認知症の高齢者はますます増えるのだから、予想外の行動によって、企業ではなく一個人が被害を受け、損害を被る可能性もあるのだ。認知症ドライバーによる人身死亡事故などが、その典型例だろう。そのときに生じた損害は誰が保障するのかという問題も、同時に問われなければならない。

このことに関しては、2013年12月11日に公益社団法人 認知症の人と家族の会が出した意見書でも、「認知症であるがゆえの固有の行動から生じた被害や損害については、家族の責任にしてはいけないというのが私たちの考えですが、しかし、その被害等は何らかの方法で賠償されるべきです。例えば介護保険制度の中にそのための仕組みを設けるなど、公的な賠償制度の検討がされるように提案します。」と、公の賠償の仕組みを求めている。

線路を管理するJR側の安全対策にも限界があり、線路全線を塀で覆うわけにもいかない状況で、どこまで安全対策を講じることができるのかという問題とともに、被った損害を保障して、被害を受けた人が泣き寝入りしなくてよい社会システムを創っていく必要があるだろう。

認知症の人自身の見守りは、地域包括ケアシステムの中に組み込んだ地域ネットワークを活用する必要があるとしても、講ずるべき安全策や損害賠償の仕組みは、国全体で創っていく必要があるのではないだろうか。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

介護・福祉情報掲示板(表板)

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。