3人の利用者が不審な転落死をした介護付き有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で、利用者の家族が隠し撮りした映像には、職員が利用者を罵倒しながら乱暴に取り扱う姿が映されていた。その姿は虐待そのものである。

しかしあの隠し撮り映像を見て、「あれほどひどい状態は自分たちの職場とは無縁だ。」と安心してよいのだろうか。「それでは、どの程度までならば許されるのか?」と考えたとき、それは顧客サービスとしてその対応が適切かどうかという線引きしかできないと考えるしかない。

利用者は介護施設に、「よりましなケア」を求めているのではなく、自分の尊厳が最大限に護られるケアを求めている。介護施設において職員が利用者に接する際にも、尊厳を護る最低限のマナーが求められ、それは顧客対応としてふさわしい態度を守ることでしか実現しない。

介護サービスの場における職員の言葉遣いも、顧客サービスとしてふさわしい言葉であるのか否かという線引きしかできない。

職員が利用者に、馴れ馴れしい言葉で接することを放置することで、心のゆるみが心の乱れに繋がり、世間の非常識が介護サービスの常識であるかのような感覚麻痺が生まれ、やがてそのことが虐待行為につながる危険性がある。このことを防ぐために、態度が荒れるきっかけになる小さなほころびは、日常の言葉の乱れであると考え、利用者に対して丁寧語で対応することを基本として、乱れた言葉遣いは常に修正して対応しようとするのが、僕が提唱する「介護サービスの割れ窓理論」である。

注)割れ窓理論とは、もともと犯罪心理学の中で唱えられている理論で、割れた窓を放置しておくと、割られる窓が増え建物全体が荒廃していき、やがてそうした建物が地域に増えることで、地域全体が荒廃していくという理論で、割られた窓をすぐに補修することで、そうした荒廃を防ごうという理論である。

勿論、言葉を正したからといって、必ず感覚麻痺と虐待を防ぐことができるとは限らない。しかし言葉を正す習慣は、心の乱れをある程度までは防ぐ効果も生むし、言葉だけを正しくして態度が荒れてきたら、周囲の人はそのことに対して違和感を覚え、その不自然さや不適切さに気づきやすくなり、深刻な問題に繋がる前に、ほころびを指摘でき、修復できるという効果がある。

2025年には、団塊の世代の人々が後期高齢者となり、介護サービスを利用する人がさらに増えるだろう。それらの世代の人々は、企業戦士として高度経済成長期を支えてきた人で、我々の世代より上下関係に厳しく、サービス業の言葉遣いに敏感な世代である。

そうであるがゆえに我々が言葉を崩すことで不快になる人は多く、同時に崩した言葉に傷つく人も多いはずである。 

そうしないためにも、我々の世代で、言葉を崩して馴れ馴れしい言葉遣いをすることが、親しみやすさの表現だという変な誤解をなくして、顧客サービスとしてふさわしい言葉を普通に使いこなすことができる介護を作っていく必要がある。今変えていかないと、汚い言葉でいつか我々自身が傷つき、我々の愛する子供や孫が傷つけられるのだ。

虐待と無縁の介護は、正しい言葉遣いができるところから始まるのである。

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