3年後(2018年)の介護報酬改定議論の中で、厚労省は現在全額保険給付されている居宅介護支援費(居宅サービス計画作成などを含むケアマネジメント)について、利用者自己負担を導入する考えを示している。

このことは2012年の制度改正時にも一度議論されたが、その際は社会保障審議会介護保険部会の報告書に、賛成と反対の両論を併記したうえで議論し、見送りとなった案である。

今回再びこのことが取り上げられている背景には、6/30に閣議決定された、「経済財政運営と改革の基本方針2015」(骨太の方針)で、社会保障費の伸びを今後3年間で1.5兆円程度に抑える削減目安が示されたことと大きく関連しているだろう。

このことは過去3年間と比べて、介護報酬を2%以上削減し、その報酬レベルを2018年まで維持することで実現しようとするものだが、高齢者が増えることによる自然増分を考えると、そのあとも介護だけで毎年1.500億円〜2.000億円の給付削減をしなければ、その数値目標が実現できないことから、さらなる報酬減とともに、利用者負担の増加も考慮に入れなければならない。仮に居宅介護支援費の1割利用者負担が導入されれば、2014年ベースの給付費で試算すると、400億円の給付費削減効果があるのだから、国としてはぜひ実現させたいことだろう。

もともと居宅介護支援費が全額保険給付されている理由は、「利用者個々の解決すべき課題、その心身の状況や置かれている環境等に応じて保健・医療・福祉にわたる指定居宅サービス等が、多様なサービス提供主体により総合的かつ効率的に提供されるよう、居宅介護支援を保険給付の対象として位置づけたものであり、その重要性に鑑みたものである。」と国は説明していた。

その原則を崩しても、一部自己負担を導入せねばならないほど、財政健全化において、少子高齢社会にかかる費用はネックになってきているということである。

現在の流れから言えば、2018年には、この自己負担が導入されることになることは間違いないだろう。

その理由は、2012年の議論当時より、反対論が少ないことから判断できるものだ。例えば全国老施協は、これ以上の介護給付費の削減をさせないためにも、「肉を切らせて骨を絶つ」という戦略の中で、居宅介護支援費の自己負担導入を自ら提言している。

「肉を切らせて骨を絶つ」という戦略ほど、歴史的に見て成功例の少ないものは他になく、太平洋戦争時の特攻作戦も、その理屈を前面にして決行され、あの戦争の末路をさらに悲惨なものにしたように、高等な戦略とは言い難いが、他にもう知恵がないということなのだろう。そういう意味では、この国の介護保険制度が末路に向かっていると言えるのかもしれない。

僕個人の意見としては、居宅介護支援費の全額保険給付という意味も理解できるし、そのことは大いに意義深いものであったと評価するが、例えば特養の多床室の報酬が制度開始当初から比べて23%という大幅な削減をされているという状況の中で、介護給付費は3.6兆円から9.5兆円へととめどなく増えている現状を鑑みると、この制度を持続させるのであれば、理念に及ぶ部分も一部微調整が必要で、ケアマネジメントという制度の根幹に関連する部分の自己負担導入もやむを得ないと考えるものである。

ただし前記したように、それはあくまで財政事情を考慮して、よりましな方向は何かと考えたときに、やむを得ず選択するものであって、居着介護支援費の自己負担導入によって、ケアマネジメントの質が上がるかのような、まやかしの理屈は間違いであると同時に主張しておきたい。

自己負担導入に関して、まやかしの理屈を展開する輩は、このことで次のような効果あると言う。

・利用者がケアプランの内容に対する関心を高め、自立支援型のケアマネジメントが推進されるのではないか
・ケアマネジャーがより慎重に選ばれていき、それぞれが質を競い合うようになりプラスの効果が生まれる

馬鹿者と言いたい。居宅介護支援費に自己負担を導入すれば、自立型のケアプランが増えたり、ケアマネジメントの質が担保されるためには、利用者が「自立支援型のケアマネジメントを望んでいる」という前提条件がなければならない。それがなければこの考え方は成立せず「空論」の域を出ないからだ。

現実としては、利用者は自らの自立支援を求めてケアプラン作成を依頼するわけではなく、「暮らしがどうなる」ということより、まず「サービスを使いたい」ということからケアプランの作成依頼に至るのである。そして介護保険サービスは、お金を払えば使えるサービスなのだから、効果より利用そのものが目的化される傾向にある。ニーズよりデマンドからサービス利用を考えるのが人情なのである。

この時、ケアマネジメント能力のある介護支援専門員であれば、利用者のデマンドと真のニーズは違うことを適切に導き出し、説明し、自立支援型のサービス利用に持っていくであろうが、利用者負担導入により、逆にこうした利用者のデマンドより、真のニーズを導き出すケアマネジャーは避けられる可能性の方が高い。「金を払っているんだから言うことを聞け」と主張する利用者が増えるだろうし、金を払ってまで「指示」されることを嫌う利用者は、適切なケアマネジメントで真のニーズを説明してくれる介護支援専門員を「うるさく」感じて避けるケースが多くなるからだ。

その結果、利用者に「おもねる」居宅介護支援事業所の方が、利用者確保に繋がり収益を挙げることになるだろう。

このことは利用者負担の導入は、居宅介護支援事業における過度な利用者への「媚を売る」ことを助長させるという意味に置いて「御用聞きケアマネ」を増やす危険性はあっても、ケアマネジメントの質担保にはならないという結論となる。よって居宅介護支援費の自己負担導入理由を、ケアマネジメントの質向上のために必要と主張する人間は、よほどのイカレポンチであると言えるのだ。

さらに言えば、お金をかけずに自分の望むサービスだけを利用するために、自己負担の必要がないセルフプランでサービス利用するケースが増えるだろう。このことは、ケアマネジメントの存在しないサービス利用が増えることを意味し、そうであれば自立型のサービス利用につながるなんてことはあり得ないという結論しか導き出せない。そしてこのことは給付管理を市町村が行うということになるもので、市町村の事務負担が増え、そのことによって行政によるサービス抑制が行われるという結果さえ懸念される問題となるかもしれないのである。

どちらにしても居宅介護支援費の自己負担導入は、利用者の暮らしの質とケアマネジメントの質との関連で議論すべき問題ではないのである。むしろ両者の質の低下は懸念されるものの、財源と制度の持続性を考える中で、やむを得ない選択肢として議論されるべきである。

このように、もっと本音で財政論を展開しないと、少なくとも関係者の納得を得ることは難しいだろう。介護事業関係者は、国の審議会で机上の空論に終始するようなイカレポンチばかりではないのだから。

※この問題について、「居宅介護支援費に利用者自己負担を導入することの是非について」というアンケートを実施中です。(9/25まで回答期限)。是非皆様の意見をお聞かせねがいたく投票協力をお願いします。

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