朝10:00頃になると、決まって食堂に掲示されている週間予定献立表を見に来る〇〇さん。僕が話しかけると、いつも笑顔で応じてくださる素敵な人である。
その方は、僕が4年以上前に書いた、「暮らしの場での制限は最小限に」という記事の中でも紹介させていただいた方である。
あれから4年。当時80代だった〇〇さんは、もう90歳を越しているが、今でもあの時と同じ笑顔で、お元気に過ごされている。4年前と比べると、耳が少し遠くなったが日常会話に問題はない。
貼り付けた4年前のブログ記事にも書いた通り、彼女は20年以上前に、隣市の医療機関まで僕が迎えに行って当施設に入所した人。
当時〇〇さんは、持病の糖尿病治療のために、厳しい食事制限を受けていたため、大好きな食の喜びを奪われて生活していた・・・。飲んではいけないはずの砂糖入りのコーヒーを誤って飲ませてしまったことがきっかけで見つけることができた彼女の笑顔。その笑顔があまりに愛おしくなり、彼女にとっての食の喜びを取り戻すために、何ができるのかを管理栄養士と看護職員と喧々諤々の議論を繰り返し、より緩やかな食事制限を模索するきっかけになった方。
勿論、糖尿病という病気を軽視してはならないことは十分に理解している。それは重篤になれば、失明や四肢切断という事態になるだけではなく、糖尿病が重篤化した末期は、いわば体中が腐っていくような状態になり、その苦しみは想像を絶するものである。よって糖尿病を悪化させないための治療は不可欠であり、それよりも優先されるものはないと言っても過言ではない。
だからと言って、制限さえし続ければ良いというわけではないはずで、必要最小限の制限で病気の悪化を抑えるという専門職の考え方なり、介入がないと、人生の楽しみというものをすべて奪ってしまうのではないかと考えた。そのために食の専門家、看護の専門家、医療の専門家が、それぞれ知恵を絞って、出来ることは何かを模索し続けてきたのである。
それから20年以上たって、現在彼女は年齢は90歳を超えた。そして今でも糖尿病とはうまく付き合いながら、食の喜びをもって毎日暮らしておられる。
当時口を酸っぱくして言い続けた言葉・・・「制限は馬鹿でもできる、しかしできる方法を考え続けるのがプロの技だ」、、、その答えがここにあるのではないだろうか。20年間の実践と、今現在の彼女の笑顔、これ以上の根拠がどこに存在するというのだろう?
この日のお昼のメニューは、「野菜たっぷりジンギスカン丼」となっていた。「いかがですか」と尋ねると、「どんな料理が出てくるのか楽しみです」と笑顔で答えてくれた。当施設は8月から、食事が委託業者の提供によるものに替わっているため、そのことの感想を聞くと、今までメニューになかった献立が増えて、毎日楽しみですと言ってくださった。くわえて「野菜が多くなって、健康にもよさそう』とも言っておられた。
こうした何気ない日常会話を交わすことができるのも、〇〇さんが食に対する関心を持ち続けることができているからだと思う。健康や栄養のために欠かせない食事であるが、人にとっての一番の楽しみであるという一面を忘れてそれを管理する方向に走った時に、人にとって大切なものが奪われてしまうような気がする。
〇〇さんがいつまで元気で食事を楽しんで過ごせるのかはわからない。それは決して永遠ではないことも承知している。しかし今できるベストを繰り返して、〇〇さんの笑顔が一日でも長く見ることができるように考え続けることが、僕たちにできる唯一のことだろうと思う。
そのことをしなかったという悔いだけは残したくないと思うのである。
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食に関しては塩分や糖分の制限をどこまでにするか他職種と連携を取って少しでも楽しみにできる食事にしていきたいです。