今年もまたあの日がやってくる。

日本人が・・・いや、人類が決して忘れてはならない日。8月6日・広島原爆の日、8月9日・長崎原爆の日。

終戦は広島原爆の日から9日後、長崎原爆の日から6日後のことである。敗戦間際の小国に・・・、たくさんの非戦闘員が犠牲になることが確実な場所に・・・、人類を破滅に導く恐れのある無慈悲な兵器である原爆を投下するという行為は、人類としてあってはならない行為だったと思う。いかなる理由も理屈も通用しない、許されざる行為であったと思う。人は神を超えて誰かを裁こうとしたとき、悪魔になるしかないのだろう。原爆投下とは、そのような所業である。

ところが、原爆投下に関するアンケートに対し、「やむを得なかった」と答える日本人がいるという事実がある。そういう意見の持ち主がいるということが非常に残念で、悔しいことに思えてならない。繰り返しになるが、原子爆弾という兵器を使用することは、いかなる理由があったとしても、人類として、「してはならない行為」でしかなく、それは歴史を何年刻もうと許される行為ではない。

私たちはそのことを心に刻み、いつどこであっても、同じ行為を繰り返してはならないことを全世界に訴えていくべき国の民である。原爆投下がやむを得ない行為であったなどとは、口が裂けても言ってはならないのである。決して行ってはいけない悪魔の所業であると訴え続けなければならないのである。

1987年から2006年まで、広島原爆の日の8月6日に、「長崎から広島に向かって平和について歌う」ことを目的に、長崎で無料の野外コンサートを続けていた歌手の、さだまさしさんは、そのコンサートのテーマ曲、「広島の空」の中で、被ばくした叔母の言葉として、次のようなフレーズを入れている。

もう恨んでいないと 彼女は言った
武器だけを恨んでも 仕方がないと
むしろ悪魔を生み出す
自分の心を 恨むべきだからと


そして唄の中でさださんは、「繰り返さないで」と何度も訴えている。もう恨みに思わないことは必要かもしれない。しかし決して許してはならないし、忘れてもならない。人類最大の罪、愚行・・・。日本人として、そのことを許しはしないが、恨むのではなく、繰り返さないことを訴え続けていくことは必要だろう。それは戦争を知らない世代の僕達にもできることだ。そして次の世代へ伝えていくべきことだ。

その日を迎えるにあたって僕達は、原爆が投下された日に、苦しみもがきながら亡くなっていった多くの方々に対して思いを寄せて、頭を垂れ手を合わせて、安らかなれと祈るとともに、その人たちの犠牲の上に成り立っている平和を守る誓いを胸にするだけである。

そしてもうひとつ、戦争を知らない僕達にできることがある。今年はちょうど戦後70年に当たる年だそうである。

僕が勤める特養の利用者の平均年齢は、8/1現在で男女合わせて、87.38歳である。そうであればその方々は、青年期にあの終戦を迎えたことになり、一番輝いている青春時代を、戦火と貧しさの中で過ごした可能性が高い。一番楽しいはずの時期を、自分の命がいつ奪われるかもしれないという恐怖に震え、愛する人をいつ失うかもしれないという思いを抱きながら過ごしていたのではないだろうか。

そういう人たちが、辛い青春時代を経て、戦後の日本の復興に汗を流し、このような平和で豊かな日本を作ってくれた。その人たちが、人生の最晩延期を迎えたときに、心身が衰え人の手を借りて生活せざるを得なくなったとしても、長生きして良かったと思える人生を、最期の瞬間まで過ごすことができるようにお手伝いすることは、戦争を知らない世代の、僕達にこそできることではないだろうか。

今週末は、大阪と奈良で講演を行うことになっているが、ちょうどその日は、広島原爆の日と、長崎原爆の日を挟んだ日になっている。(奈良講演は、まだ席があります。)

そこでは誰かの人生の最晩年期に係る関係者の一人として、その使命と責任を伝えてこようと思う。辛く哀しい青春期を過ごして、やがて復興日本の礎となってきた人々が、この国に生まれ、この国で天寿を全うする喜びを感ずることができる一助になることの大切さを伝え、その思いを共にする仲間と繋がってきたいと思う。

さださんが繰り返さないでと伝え続けてきた思いも一緒に共有しながら。そんな祈りを込めて・・・。


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