九州は年10回以上行く機会をいただいているが、どの県も大好きだ。素敵な人がたくさんいて、食べ物もおいしい。滞在していて観光するところもたくさんあって言うことなし。

そんな九州だから、二月も行かないでいると寂しくなってきてしまう。間違いなくこれはホームシックと同じだ。

さてそんな九州に、今週末4ケ月振りでお邪魔することになっている。(8月以降は年内毎月1回以上の訪問予定がある。うれしい。)

8/1(土)10:30〜16:00まで、クローバープラザ(福岡県春日市)で行われる、「福岡県社会福祉協議会主催:相談員研修」で講師役を務めるためである。お話しするテーマは、「施設相談員に求められる役割・連携とマネジメントスキル」となっている。

介護施設における相談援助職の役割は、「頭脳」である。頭脳として、様々な調整を行いながら、手足の役割を担う看護・介護職員等の支援業務の質を担保していく役割が重要である。そうであるがゆえに、頭脳が手足として動かねばならない職場は、支援機能の一部が停滞する危険性を内包しているという意味になる。

ここで勘違いしてほしくないことは、頭脳とか手足という表現は、機能を現す表現で、頭脳が手足より尊いとか、偉いとか、そういう意味ではない。このことは週末の講演で詳しくお話しする予定である。

介護施設の相談員が、頭脳として調整する役割を具体的に記すとしたら、それは以下のようになるだろうか。

・蟻の目と鳥の目との両方の視点から日常のサービスと利用者の暮らしの質をチェックする役割
・他機関及び施設内の多職種の連絡・調整を行う役割
・安全と安心の生活を創るリスクマネジャーとしての役割
・介護の理念を作り上げる現場リーダーとしての役割
・介護に従事する職員の使命と責任とは何かを明らかにする役割
・PDCAサイクル構築及び検証のリーダーとしての役割
・スタッフ全員の自己覚知を促す役割り

相談援助職は、このような役割を担い、施設サービスチームの扇の要役として、多職種協働のチームをまとめる必要がある。そこでは当然チームワークを高めるという意識が必要だ。

しかしそれは単なる仲良しグループを作ることではなく、対人援助のプロとして、利用者の質の高い暮らしを実現するためのチームワークである。

そのチームワークとは、なあなあの関係で、お互いの業務への姿勢を批評しないというチームワークではない。チームメンバー全員が、批判すること、されることを恐れることがあってはならない。専門職同志がつながってサービス提供するチームには、専門職同士がお互いの業務に対する姿勢を評価し合いながら、必要なことを云いあって、業務の質を上げていくという心構えが不可欠である。その中で相談援助職員は、そうした云いあう関係を構築して、そうした関係性を紡ぎながら、提供するサービスの質を管理する役割りが求められる。
云いあう魂
云いあわなくなった魂は、鬼になるのだと自覚する必要がある。

そのためにも相談員は、他の職員に対し、「性格を変える必要はないし、それは変わらないけれど、自分の感情のままに利用者に相対するのは介護ではない」ということを教育する役割も担わねばならない。それは専門職としての立場に個人的価値観が影響することは、偏見や偏った判断を生むために好ましくないという意味であり、その感情を否定するのではなく、素直に正確に認識することである。

それが自己覚知を促すという意味であり、自己覚知とは自分をあるがままに受け入れることでもある。自分がどのような感情や意見を持ちやすいか自覚することが対人援助には不可欠であり、援助者は自らを振り返って、自己分析を行い、洞察し、自分の心理や行動を理解するように努め専門職業的態度への変化(成長)へと努力してこそ利用者に対し必要な援助をなし得るということを、他職種に伝え、理解させる役割が重要となるだろう。そのためには、相談員自身が、自らの自己覚知に勤める不断の努力が必要だ。それは相談援助の仕事を続ける限り、行い続けねばならないことである。

そして相談員が援助技術として展開せねばならないソーシャルケースワークとは何かという問いかけは、常に必要とされるであろう。

ソーシャルケースワークの難しさとは、それが専門的知識に基づいた、専門的援助技術であるにもかかわらず、その知識と援助技術に基づいて介入するものが、極めて個別性の高い、誰かの暮らしであるという点である。それは最も非専門的領域なのである。つまり「生活の専門家」・「暮らしの専門家」はその暮らしを営む本人以外なり得ず、他人は専門家にはなり得ないからである。

ソーシャルワーカー自身とは異なる別の誰かの生活に介入する際に、相談員の専門知識が通用しないものがたくさん存在するのである。そして施設内の〇〇さんと、△△さんの暮らしに、同じ尺度は通用しないかもしれないのである。

このように個人の暮らしとは、最も個別性が高く、かつ非専門的な領域である。ここではソーシャルワーカー自身の価値観と異なる価値観が存在して当然だし、それは暮らしを営む個人にとっては唯一の真実であり、ソーシャルワーカーの判断など何の役にも立たず、説得力も持たないという状況が存在するのである。

その時に、ソーシャルワーカー自身が、社会福祉援助の専門性と、誰かの個別の暮らしという非専門的領域に、いかに謙虚にして、説得より需要が大事であると自覚しながら、揺るがぬ理念と技術をもって係るかが問われてくるのである。ここの理解が一番重要である。

それでは福岡会場でお逢いする皆様、土曜日はよろしくお願いします。

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